『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』は冒頭の言葉が『スーダラ節』に…
ダウン・タウン・ブギウギ・バンドは、1974年の暮れにリリースした『スモーキン・ブギ』がヒット。続く『カッコマン・ブギ』のB面曲だった『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』も、曲中のセリフ「あんた、あの娘のなんなのさ」が流行語になるほど大ヒットして一世を風靡した。
リーダーで作曲家でもある宇崎竜童が歌詞をもらって困ったのは、この『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』の1回だけだったという。
「一寸(ちょっと)前なら覚えちゃいるが」という冒頭の言葉にメロディをつけようと思っても、「ちょいと一杯のつもりで飲んで~」と始まるナンセンス・ソング、クレージーキャッツの『スーダラ節』になってしまう。
すっかり困ったあげく、ギターを8ビートで刻みながら歌詞を喋ってみると、「あんた、あの娘の何なのさ」というパートを台詞にするアイデアが浮かんだ。続いて「港のヨーコ、ヨコハマ、ヨコスカ」のパートも、メロディーが出来てきた。
じゃ、その本編はどうしようと思って喋ってるうちに、あれは例えば道路工夫の歌、有名な機関車の運転手とか、バラードというのか、トーク・ソングというのか、物語をずっと歌手が語って、その人の名前を最後に一節歌って、その人の名前を言って、今度、二番に行くというのがあったことを思い出した。(宇崎竜童)
![『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』『スモーキン’ブギ』など数々のヒット曲を生み出したダウン・タウン・ブギウギ・バンドは1973年に結成。写真は『ゴールデン☆ベスト ダウン・タウン・ブギウギ・バンド [スペシャル・プライス]』(2021年6月9日発売、UNIVERSAL MUSIC)のジャケット](https://shuon.ismcdn.jp/mwimgs/0/c/500mw/img_0c1d6e84f08f7e85442515efd2b9ca72388339.png)
横浜から横須賀へと流れていった商売女を捜している男と、女と接点を持った連中の証言で成り立つユニークな歌が、子どもの頃から聴いてきたカントリー音楽の中にあった“トーキング・ブルース”を思い出したことで、『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』は完成した。
不良をイメージさせる強面のルックスとつなぎのファッションに相応しく、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの歌は、社会の底辺に生きる人間たちのリアルな声、反逆的な歌詞や物語が特徴だった。
彼らは日本で最も有名な刑務所の歌『網走番外地』を、デビュー・アルバムの『脱・どん底』に入れたが、レコ倫からは発売禁止の処置を受けている。
こうして『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』などのヒットによって、作家として楽曲の依頼が入り始めた宇崎竜童は、研ナオコに『愚図』を提供して歌手として成功に導き、作詞した夫人の阿木燿子とのソングライター・コンビで活躍していく。
決定的となったのは、一人のアイドル歌手との出会い。それは日本の歌謡史における、歴史的瞬間の一つとして語り継がれることになる。