実はその芸能史には三つのステージがある
少し話題を変えよう。
多くのタレントは芸能界という荒波で生き残るにあたり、モデルチェンジをしていく。アイドルとしてスタートした人が、俳優になり、ママタレ・パパタレに変わっていくようなこともあるし、お笑い芸人から性格俳優になったりする人もいる。
武田真治でいえば、ジュノンボーイからのフェミ男期→めちゃイケいじられ期→筋肉期というような変遷を経てきているし、髙嶋政伸であれば二世タレントサラブレット期→ドラマ「ホテル」等主演級俳優期→私生活色々あった期→いきいきと怪優やってる期といった感じである。例としてあげた芸能人が適切だったかは正直自信がない。
で、坂下千里子である。
三畳紀・ジュラ紀・白亜紀のように坂下千里子の芸能史もいくつかの期に分けられる。
分け方には諸説あるかもしれないが、ざっくり大きく分けると(1)ブランチ期、(2)いいとも・もしツア期、(3)教わり期ということになる。最後の「教わり期」って何?と思ったであろうが、ひとまず話を先に進める。
坂下千里子のデビューのきっかけはアルペンのCM出演だが、本格ブレークは「王様のブランチ」のリポーターである。千里子は、はしのえみの盟友としてブランチリポーター第一次黄金世代の中心で居続けた。ここが彼女の第一ステージだ。
しかしブランチリポーターをステップに、さらに芸能界の急坂をのし上がるのはなかなかハードルが高い。ワンギャルからドラマ主演級まで上り詰めたのがほぼ釈由美子だけだったように、テレビ番組に紐づいたグループからのスターロードは細い。例外的な大成功事例であるおニャン子クラブでさえ、いまだに第一線にいるのは数人だ。
たとえが古いと思われた方もいることだろう。今調べてびっくりしたのだが「ワンダフル」がやっていたのは約25年前らしい。そりゃ東幹久も52歳になるはずである。
そんな千里子を一躍スターにしたのが、スリムビューティハウスの「バッチリチリ脚」というエステCMである。バレエ経験を生かし、足でタクシーを止めたり、居酒屋で注文したりするインパクト抜群のCMで認知度を上げた彼女は、その後「笑っていいとも!」のレギュラーや「もしもツアーズ」の初代ツアーガイドなどバラエティを戦場に輝いていく。これが第二ステージだ。
余談だがこのエステCMと同じ時期に出たのが、近年ハライチからもいじられている、坂下千里子シングル曲「浜辺のChili-Chiliダンス」である。今、当時のCDジャケットを見て驚いたのだが、特典としてエステご招待券がついている。CDを売るためにエステ券をつけたのか、エステに来てほしいためにCDを出したのか、よくわからないマーケティング戦略である。