それまで誰も聴いたことがないタイプの日本語ロック
1978年6月9日のこと。ラジオ番組『甲斐よしひろの若いこだま』(NHK-FM)では、“ロックの日”と称して「夏よ来い!ロックンロール大特集」がオンエアされた。
DJを務めていた甲斐よしひろは、その夜の最後に「これは絶対売れる! この曲が流行んなきゃ、甲斐バンドも流行んないかもしれない」と、かなり力を込めた調子でサザンオールスターズのデビューシングル『勝手にシンドバッド』を紹介した。
まだデビュー前の新人バンドが持っていたとてつもないポテンシャルを、同じロックミュージシャンとして強く感じていたのが明らかだった。
勢いよく「♪ラララ」というコーラスから始まったアップテンポの曲は、それまで誰も聴いたことがないタイプの日本語ロックであった。

一聴しただけでは歌詞の意味はまったく不明。真面目なのか冗談なのか、ふざけているだけなのか。歌詞カードを見なければまるでわけがわからない、否、見てもよくわからないその変な歌は、リスナーをただ驚かせただけに終わらなかった。
ぶっ飛んでいて理解不能であるがゆえの魅力と、音楽的にも斬新そのものだったことから、圧倒的なインパクトを与えたのである。6月25日の発売前だったのに、リスナーからの反響は大きかった。
サンバ風のパーカッシブなロックサウンドには、ファンクとソウルの要素が埋め込まれていた。しかもタイトルが前年に大ヒットした沢田研二の『勝手にしやがれ』と、ピンク・レディーの『渚のシンドバッド』からきていたように、バックグラウンドには歌謡曲のテイストも感じられた。
桑田佳祐によれば、『勝手にシンドバッド』の原型は、ザ・ピーナッツのヒット曲『恋のバカンス』のようなものだったらしい。あえて歌謡曲を意識して作ったのだという。
「勝手にシンドバット」というのは、売れる売れないっていうんじゃなくて、自信作だった。作ったのは1977年かな。アマチュア時代にも歌ってた。もっとテンポ遅かったけど。何かロックを歌謡曲のレベルまで引き下げて歌いたいっていう願望が強くあった。所詮、日本人ってのは歌謡曲だから。
最初に曲を作ってバンドメンバーのところへ持っていった時は、歌謡曲的なテイストのせいか、「冗談じゃないよ」という感じで嫌がられたらしい。
だが、1977年にヤマハが主催するコンテスト「イースト・アンド・ウェスト」で、サザンオールスターズはビクターのディレクターだった高垣健の目と耳にとまって、レコードデビューにつながった。