映像の仕上がりが良かったので、それにふさわしい歌が欲しいと思った

ハワイのサトウキビ畑で働く農夫とその家族。夕方、収穫を終えた一家が馬車で家路をたどる。母に抱かれて眠る少女。突然の激しい夕立に、小屋の軒先で雨を避ける一家が、やがて真っ赤な夕日に染まる。

美空ひばりの『愛燦燦』は、企業CM(味の素)のためにつくられた作品で、素人俳優たちによる「家族愛」をテーマにした映像が先に完成していた。

この曲がCMソングとして生まれたきっかけは、映像担当プロデューサーだったホリプロダクションの岩上昭彦が、映像の仕上がりが良かったので、それにふさわしい歌が欲しいと思ったことに始まる。

写真はイメージです(写真/Shutterstock)
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いい音楽がつけば、さらに「家族愛」のメッセージが際立つだろうと思ったときに浮かんだのは、1978年にスタッフとして関わった山口百恵・三浦友和主演の映画『ふりむけば愛』で、主人公の心情を的確な歌詞で表現した小椋佳だった。

では小椋佳が曲を書いたとして、歌うのは誰がふさわしいのか? 岩上はホリプロの所属歌手を思い浮かべたが、イメージが結びつかなかった。

だが、映像の中の大家族を支える気丈な母親から、急に「美空ひばり」が思いついた。

突拍子もないアイデアだとは承知の上で、ホリプロの原盤制作部門だった東京音楽出版のプロデューサーで、小椋佳とも親交のある鈴木正勝に相談した。

鈴木がそのアイデアに頷いたことによって、大胆な企画が美空ひばりの担当プロデューサーで、日本コロムビアの境弘邦のところに持ち込まれた。

1986年5月29日に発売された『愛燦燦』(日本コロンビア)。この曲を作詞・作曲したシンガーソングライターの小椋佳は、実は音符が読めないという
1986年5月29日に発売された『愛燦燦』(日本コロンビア)。この曲を作詞・作曲したシンガーソングライターの小椋佳は、実は音符が読めないという

幸運だったのはその時、美空ひばりがデビュー40周年にあたる1986年に向けて、全曲を小椋桂が作詞・作曲するアルバム『旅ひととせ』を準備中だったことだ。

境は、コロムビアに所属する石川さゆりや榊原郁恵などを通じて、鈴木とは旧知の間柄だったので、まず出来上がっていた映像を見せてもらった。

「協力していただけませんか」と鈴木に切り出されたとき、「話に乗ってみよう」と思った。