「ただの目立ちたがり屋の芸人で~す」
レコードの売上が増えてチャートが上昇し、出演のめどが立ったところで、大里は『ザ・ベストテン』のスタッフにライブハウスからの中継というアイデアを提案する。現在と違って、その当時はまだライブハウスというものが、東京や大阪などの都会にできたばかりでもの珍しかった。
そして8月31日、1976年にできた「新宿ロフト」からの中継が始まった。ぎゅうぎゅう詰めの観客に囲まれて、店内の中央にある巨大な潜水艦のオブジェの甲板上に立っているバンドに、視聴者はまず驚かされた。
超満員の客を相手にライブを終えた直後だったので、女性の原由子を除いてメンバーたちはジョギングパンツに上半身裸という姿だ。スタジオにいるきらびやかな芸能人たちとは、対極にあることが誰の目にもはっきりとわかった。
司会の黒柳徹子が「急上昇で有名におなりですが、あなたたちはアーティストになりたいのですか?」と訊いた。それに対して桑田佳祐が「いいえー、ただの目立ちたがり屋の芸人で~す」と答える。そんなやりとりからは、現役の学生バンドらしい清々しさも伝わってきた。
「♪ラーラーラー、ラララ、ラーラーラー」
ところが、歌が始まると日本語か英語かわからない、桑田佳祐の歌いっぷりに視聴者は衝撃を受けることになる。持ち時間が2分しかなかったので、レコードのテンポよりもかなり早い『勝手にシンドバッド』だったから、異常なまでのハイテンションだった。
たくさんの視聴者に、“わけのわからないもの”に出会ってしまったという興奮を与えたのだ。とりわけ小中学生たちの間では、翌日から日本全国のあちらこちらで「サザンオールスターズ」がクラスの話題になった。こうしてまずテレビを通じて、若年層のファンの心を掴んでいったのである。
9月21日に9位にまで上昇してベストテン入りを果たした『勝手にシンドバッド』は、11月30日まで2か月以上もランクインし続けて大ヒットになった。
でも、まさかベストテンとか、テレビ番組に出て悩むとは思ってなかった。だから、あくまでもシャレとして「勝手にシンドバッド」出しといて、実際はリトル・フィート演ってるんだよ、みたいな、そういう浅はかな戦略的イメージしか持ってなかった時だから。ところが、そのテレビとか出ちゃったことがね、人生変えちゃったのね。
ベストテン入りしてからのサザンオールスターズは、たびたびスタジオでも演奏を披露したが、テレビという華やかでゴージャスな虚構の世界にあって、素人っぽさが浮いている気さくなロックバンドとして妙にハマった。
初めのうちはコミックバンドのようにみなされていたが、テレビ出演を嫌がらないロックバンドとして認知されて、特に子どもたちの人気者になった。
それまでのロック・ミュージシャンとテレビとの関係を変えたという意味で、サザンオールスターズはまさに画期的なアーティストとして、凄まじい勢いで成長していく。
文/佐藤剛 編集/TAP the POP
引用
「ブルー・ノート・スケール 」 (桑田佳祐著/ロッキング・オン)