音楽イベントを通じて、日本の青年たちにメッセージを
ことの始まりは1982年。小田和正と吉田拓郎が「日本にもグラミー賞を作るべきだ」として、仲間のミュージシャンたちに声をかけたところから始まった。
しかしこの構想は、レコード会社やマスメディア、所属するレーベルや事務所といった様々な関係から生じる諸問題を解決できずに幻となってしまう。
そこへ舞い込んだのが、国連によって国際青年年と定められた1985年に、「音楽の力で何かやれないか」という日本民間放送連盟からの相談だった。
国際青年年(インターナショナル・ユース・イヤー)とは、21世紀に向けて世界の青年人口が増加し続けていく中で、彼らの役割や意義、抱える問題について、国連をはじめ世界の団体や個人で取り組んでいこうという期間で、世界各地で様々な活動が展開されていた。
その呼びかけに対し、日本民間放送連盟は音楽イベントを通じて、日本の青年たちにメッセージを送ろうと考えたわけである。
ニッポン放送の亀渕昭信がプロデューサーとなって尽力する中、小田和正と吉田拓郎を中心として様々なミュージシャンたちに声が掛けられ、遂に1985年6月15日、国立競技場で「国際青年年記念 ALL TOGETHER NOW」が開催される運びとなった。
それは国立競技場での初の音楽イベントだった。1958年の開場以来、30年近くに渡って音楽イベントが実現しなかったのは、フィールドに敷かれた天然芝を保護するため、日本スポーツ振興センターによる厳しい審査をパスしなければいけないという高いハードルがあった。
しかし、日本青年年という大義名分と日本民間放送連盟のバックアップがあることから、初めて音楽イベントとして使用する許可がおりたのだった。
1985年6月15日16時。6万人を超える観衆が見つめる中、吉田拓郎のMCでコンサートは幕を開けた。
「とりあえず景気づけにオレが1曲歌います。ところが今日は俺のバンドがいない。そこで、是非ともこのグループとやってみたかったというグループを紹介します。泣いて喜べよ! オフコースだ!」
1970年のフォークシーンを牽引した両者による共演に、会場からは驚きとともに盛大な歓声が上がった。