3月下旬に避難指示が解除も「帰ってどうやって生活するの」
「過去を振り返ったって、もうどうにもなんねぇから」
牧場で馬の世話をしていた三瓶利仙(としのり)さん(67)は言葉少なに、そう語った。
東日本大震災による東京電力福島第一原子力発電所の事故から今年3月11日で丸12年がたつ。
かつて三瓶さん一家が住んでいた福島県双葉郡浪江町の多くは今も「帰還困難地域」に指定されたままだ。たくさんの町民が故郷を離れて暮らす今、酪農家だった三瓶さんの一家もまた浪江町を離れ、この12年間で新たな人生を歩んでいる。
そうした中、政府は、将来にわたって居住を制限するとしてきた帰宅困難区域内に「特定復興再生拠点区域(復興拠点)」を設置し、昨年から葛尾村、大熊町、双葉町などの一部で避難指示の解除を実施してきた。
そして今月1日には、遂に浪江町も3月31日の午前10時で、復興拠点の避難指示が解除されることが決まった。
今回、浪江町で避難指示が解除される地域は、「室原、末森、津島」の3地区の一部などだ。解除にあわせて浪江町は、「町営津島住宅団地」を建設して、帰還者の受け入れ態勢を整えている。
この団地は、国の福島再生加速化交付金を活用した公営住宅で、幹線道路沿いに真新しい木造平屋建ての家々が立ち並ぶ。いよいよ被災者が浪江町に戻り、以前の生活ができるとあってか、「帰れるのが楽しみだ」などと話す元住民の声を、昨年からメディアが度々報じるようになってきた。
だが――。
「帰りたいなんて、そんなの嘘だと思うよ。だって、帰ってどうやって生活するの」
三瓶さんは淡々とした口調で、そう話した。確かに、今回の避難解除で実際に帰還する元住民は、当面の間ごくわずかだと見られている。それに加えて、三瓶さん一家のように、帰宅困難区域に家があり、復興拠点には含まれていないことから、今回の避難指示解除の対象外という元住民も多い。
いつ避難指示が解除になるかさえもわからない一家の状況について三瓶さんは、きっぱりとこう言い切る。
「俺は最初から帰るつもりもねぇから」