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「牛は愛玩動物じゃない。生きるための資源」

「牛、まだ生きてるぞ」

〈写真で振り返る東日本大震災〉原発事故から避難した酪農夫婦を待っていた現実「牛は愛玩動物ではなく生きるための資源」「私たちはもう被災者でもない」牧場用の土地を買って新たな生活へ_1
三瓶夫妻が避難し誰もいなくなった自宅の居間(2011年6月撮影)
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気づくと夫婦は持っているものを全て投げ出すかのようにして、浪江町に向かっていた。
自宅に着いたが、牛舎の入り口で足が止まった。牛に対して申し訳ないという気持ちで、心が締め付けられる思いがした。

「すみません、自分ばっかり逃げて」

牛に謝る恵子さんは、牛たちの顔を直視できなかったという。だが、恵子さんの不安をよそに、繋がれた紐に絡まって死んだ1頭を除き、残りの牛は全て無事だった。猪苗代町に避難する1日前に生まれたばかりの仔牛まで生きていたのだ。

「猪苗代で生活していても、耳の奥で牛の声が聞こえてくるんだよ」

そう話す恵子さんの唇は、かすかに震えていた。
浪江町に戻ると、夫婦は6月頃まで牛の世話を続けた。近隣には、誰かが逃がした牛などの家畜が闊歩していたそうだ。

「動物愛護を訴えるNGOが、可哀そうだという理由で、繋がれている牛を見つけては、紐を切って勝手に小屋から逃がしていたようです」(写真家・郡山氏)

三瓶さんの元には、メディアも度々取材に訪れた。

「牛、可哀そうでしたね。牛も家族ですものね」

〈写真で振り返る東日本大震災〉原発事故から避難した酪農夫婦を待っていた現実「牛は愛玩動物ではなく生きるための資源」「私たちはもう被災者でもない」牧場用の土地を買って新たな生活へ_2
原発事故直後に避難してしまった牛舎の外には白骨化した牛の死骸が放置されたままだった(2011年12月撮影)

避難生活を美談にしたかったのだろうか。記者らは、三瓶さん夫婦に、そんな問いかけをしたそうだ。だが、それは三瓶さんにとって的外れな問いかけだった。
恵子さんがいう。

「牛は愛玩動物じゃないの。牛は我々が生きるための資源で、経済動物なの。乳が絞れなくなれば、餌を多くやって脂肪をつけさせてから屠畜する。そのお肉を人間がいただくわけでしょ。人のためになる牛。だから、単純に可哀そうだけでは済まされない。酪農家には、牛を飼っている責任がある。我々にとって、そこはきちんとした線引きがあるんだ」