AIは蔦屋重三郎になれるか

田中 なぜかというと、人間の場合には、20歳、30歳、40歳と年を重ねるうちに能力が固められていくと同時に、「排除してきたもの」があるんですね。たとえば記憶。忘れたと思っているものも、本当は記憶しているんです。本当は記憶しているけれど、意識に上らないようにしているもの。子供の頃にいた家のこととか、その後おもいだす必要はないわけだから、覚えているけど排除して、忘れたふりをしている。

ところが、人間の編集能力を拓いていくと、そういう「排除してきたもの」が全部使えるようになるんです。戻ってくるし、使おうと思えば使えるので、「自分の中に眠っているものをどんどん使おう」というのが、松岡さんの編集能力のメソッドなんですね。

AIの場合も、情報が人間以上に膨大にあるだろうから、編集できる要素はいっぱいあるのだと思います。でも、何を甦らせるのか?

たとえば、ある人の顔を見た途端に、別の人を思い出したとか、その人と過ごした記憶が甦ってくるとか。「そういうことって、AIに起こるのだろうか?」と思うんです。

今言ったようなことは、人間関係の「外とのやり取り」、それから「環境とのやり取り」で起こることです。はたしてAIに同じことができるのか? ある人の顔を見た瞬間、それを一瞬のうちに取り入れて、過去の膨大な記憶の中から特定の人物の記憶を想起する。そのような「編集」ができるのか? それはでも、できるのかな、もしかしたら……。

 どうですかね……。AIによる編集は、いろいろな命令というか指示はできるんです。「こういうふうにしてくれ」という具合に。でも「こういうふうにしてくれ」と思うのは人間ですし。

田中 そうなんですよ。

 先生、たしか蔦屋重三郎の本でもお書きになっていたと思うんですけど、「編集というのは単に、作家が書いてきたものを読んで構成して、世に出すだけではない。ビジョンが必要なのだ」と。

田中 そうそう。「こういう本を出したい」というビジョンがあって、初めて編集ができる。

画像/Shutterstock
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 まさに蔦屋重三郎は、既存の文書データとか絵画データを総合して、「いい感じのものを作りました」という人では全然ない。喜多川歌麿や東洲斎写楽といった、それまで存在しなかったタイプの才能を発掘して、新たな表現を生み出しましたね。

田中 そうですね。「今必要なものは何か」という発想をする人なんです。だから私は今のところ、人間が持っているような「柔軟な編集能力」というものを、AIは持てないだろうとは思っています。未来はどうなるか、わからないけれど。