伝統芸能が「消えない」理由

田中 情報を伝えるメディアは、時代とともに古くなってもなぜか消えない。文学の言葉はもちろんのこと、テレビやインターネットが出てきてもラジオは残り、今の若い人たちはラジオをよく聞いている。消えないって本当に不思議ですよね。たとえば伝統芸能ってあるでしょう。もう誰も共感できないような伝統芸能でも消えないんです。

原因のひとつは、日本人の特性だと思うんだけど、自分でやりたがるので「お稽古文化」として残っている。日本舞踊にしても三味線にしても、ただ見に行くだけではなく、自分でも稽古する。お稽古ごとは江戸時代からすごく庶民の世界ではやっていて、いまだにお稽古文化が残っている伝統芸能は消えないんです。

江戸時代でいうと、近松浄瑠璃が大坂で大流行した。この近松浄瑠璃の前に「説経節」という古いタイプのものがあったのですが、これが消えるのかというと、説経節の人たちが、大坂ではもう商売できないと思って九州とか佐渡のほうへ行くんです。

そしてそこで、また別の「共感のコミュニティー」ができる。そうして残っていって、説経節は現代になってもまだある。現代人も「面白いな」と思って稽古している。そういうふうに本当に少数でも何か「共感する」というようなことが起こって、小さなコミュニティーがたくさんできると、それが文化の多様性にもなっている気がしますね。

李舜志氏(左:法政大学社会学部准教授)と田中優子氏(右:法政大学名誉教授)
李舜志氏(左:法政大学社会学部准教授)と田中優子氏(右:法政大学名誉教授)
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 稽古文化というのは本当に面白くて、僕のひとつ前の本(『ベルナール・スティグレールの哲学 人新世の技術論』法政大学出版局)で、フランスの哲学者であるベルナール・スティグレールについて書いたんですけど、その中でスティグレールが「アマチュア」について話しています。アマチュアというと、プロフェッショナルの対義語みたいに聞こえますけど、もともとはラテン語の「アマトーラ」から来ていて、それは「愛する人」のことなんです。

専門家か素人かは全然関係ない。そして愛する人とは何かというと、「消費」をしないんです。短時間遊んで飽きたらポイではなく、自分の愛することを地道に続けている。

たとえばまだレコードがない時代って、モーツァルトの新曲が出たといっても、その曲がどんな曲かわからない。だからアマチュアの音楽愛好家は何をするかというと、楽譜を買ってきて、自分で演奏をする。そうしてその曲を「体験」して、どこが難しいとかいうことも理解する。それをわかった上でコンサートを聴きに行くので、聴く時の解像度が段違いなんです。だから音楽で食っていかなくても、稽古をしている人は、そのすごさがわかる。

田中 わかるんですよ。それも共感の一つなんです。