アマゾン・ドットコムは「自由市場」ではない!
「アマゾン・ドットコムの中に足を踏み入れるということは、資本主義の世界から退出するということだ。大量の売買が行われていても、あの場所は市場(マーケット)とは言えない領域だし、デジタル市場でさえない」
私は講義や討論会で、よく上記のようなフレーズを口にするのだが、そう言うと、人々は私の気が変になったのかと思い、心配そうな目で見てくる。だが、その意味するところを説明すると、私に対する懸念が、彼ら全員にとっての不安に変わる。
まるでSF小説から抜き出してきたような、次のシーンを想像してほしい。あなたはある街に迷い込む。その街にいるのはガジェットや服や靴、本や音楽やゲームや映画を売買して生計を立てている人ばかりだ。
最初はなにもかも普通に思える。ところがしばらくすると、妙なことに気がつく。どの店も、建物もすべて、実はジェフという一人の男のものなのだ。
彼は店で売られているものを生産する工場を所有しているわけではないが、すべての売上の上前(うわまえ)をピンハネするアルゴリズムを押さえている。また、販売できる商品とできない商品を彼が決めている。
もしそれだけなら、昔の西部劇の一場面のように、一匹狼のカウボーイがある町を通りかかったところ、太っちょの実力者がバーも食料品店も郵便局も鉄道も銀行も、そして保安官も自分のものにしているのに気づく、といったシーンが思い浮かぶだろう。
だが、それだけではない。ジェフが所有するのは店舗や公共施設だけに留まらない。あなたが歩く土の上も、腰を下ろすベンチも、吸う空気すらも彼が所有している。実は、この奇妙な街では、目にするもの(そして目にしないものも)すべてがジェフのアルゴリズムによって管理されているのだ。
仮にあなたと私が隣どうし並んで歩いており、どちらも同じ方向を見ていたとしても、アルゴリズムが提供する景色はひとりひとりまったく違い、ジェフの目的に沿って注意深くカスタマイズされている。アマゾン・ドットコムの中を動き回る人はいずれも――ジェフ以外は――アルゴリズムによって隔離された場所をさまようことになるのだ。