〈前編〉

自分を知る人が誰もいない場所へ

「仕事の関係で半年ほど留守にするので、アパートの留守番に来てくれないか」

北海道の大学を卒業して就職した兄から、こんな誘いが来たとき、高田さんは21歳。ひきこもってから4年近くが経っていた。

「同級生がみんな大学に行ってる4年間、まるまるひきこもってたわけですからね。家族が無理に外に出そうとしなかったのは、ありがたかったですけど、自分でもなんとかしないとヤバいと思いつつ、なんとかする力が湧いてこない……、どうしたらいいんだと焦っていました。

実家の隣は同級生の家だし、ちょっと近所を歩いただけで、『あ、努君、進学もせず、就職もせず、何しているんだろう』みたいな好奇の目にさらされる。だけど、兄のいる北海道なら1人で行けるかなと。兄貴はとても優しい性格なので」

写真はイメージです(写真/Shutterstock)
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両親は「転地療養のように、ひょっとして何かのきっかけになるかもしれない」と祈るような思いで送り出したという。結果的に、これが功を奏する。

「自分を知っている人が誰もいないっていうのは気楽でしたね。自分がひきこもりから脱出できたきっかけは、環境を変えたことが一番大きいと思います」

高田さんが北海道に来て最初にしたことは、バイクの免許を取ること。家から出ることはできたが、「将来も見えないし、半ばやけくそで、どこかで事故って死んでもしょうがないか」と思いながら、ときに野宿をしながらバイクで走り回ったという。

写真はイメージです(写真/Shutterstock)
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人と話すのが嫌で選んだ清掃のバイトは面接で落とされてしまった。いくつかのバイトに応募し、そのうちの一つはひきこもっていた過去を話しても、「真面目に働いてくれればいい」と雇ってくれたそうだ。

ひきこもっていたと正直に言うと、どこにも雇ってもらえないという話をよく聞くので、かなりラッキーだったと言える。

「そこで彼女もできたんです。彼女も恋人を亡くしたり、過去に辛い経験をしてたみたいで、ひきこもりとか全然気にしない人でした」

だが、兄の家に居候したままバイト生活をずっと続けるわけにはいかない。やりたいことを考えているうちに思い出したのが、子どものころの夢だ。

消防官を主人公にした漫画が大好きで、表紙を大きくカラーコピーして、机の前に貼っていたほどだ。

「人を助ける仕事ってカッコいいなって、男の子的な単純な憧れですよね。問題は、やっぱり体力です。ひきこもっている間に虚弱体質みたいになってしまっていて、少し走っただけで息があがるし、何をやってもキツイ。俺、こんなに動けなくなっちゃったんだと、最初は苦しいことしかなかったですね。

でも、民間の会社なんて受けたって、条件が不利すぎて正社員にはなれないでしょうし。不利な経歴を覆す成績で採用試験を突破するしかないと思ってました」

消防官の採用試験を受けたが、最初の年は落ちてしまう。当時は今より公務員人気は高く、倍率が20倍近かったそうだ。

翌年、再挑戦して合格。北海道を離れて就職した。