12歳のときにコンピュータを手に入れたイーロンの天才性

どうやってここまで成功した子どもたちを育てたのかと、よく尋ねられる。わたしは子どもたちが興味を抱いたことをやらせただけ。

わたしは子どもたちを愛しているし、子どもたちが成し遂げたことすべてを誇りに思っている。

いちばん上の息子であるイーロンは、環境を守るために電気自動車をつくり、ロケットを飛ばしている。真ん中の息子のキンバルは、産地直送食材のレストランを開き、行政の援助が行き届いていないアメリカじゅうの学校の畑で、果物や野菜の育て方を教えている。末っ子のトスカは、芸能関係の会社を経営し、ベストセラー小説を原作とする恋愛映画のプロデューサーと監督をしている。3人とも興味はばらばら。

トスカは映画の道で活躍している
トスカは映画の道で活躍している
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わたしときょうだいたちもそうだ。わたしたちはみな、それぞれ違う道を進んだ。両親は子どもたちがそれぞれ異なる関心を抱くことを喜んで応援してくれた。同様に、わたしの子どもたちも幼いころから違うことに興味を示して、現在に至るまでその興味を抱きつづけ、その対象を愛している。

子どもが必要としているときは、励まして手を貸した。助言を求められたときは、アドバイスした。この本ではなんとか長くしているけれど、わたしの助言はいつもとても短い。

キンバルがインスタグラムで、そのことについてとてもうまく表現している。「わたしの人生において、母(@mayemusk)はわたしを導いてくれました。

69歳で〈カバーガール〉のアンバサダーになっただけでなく、ふたつの大学で栄養学の理学修士号を取得し、つねに本物の食べ物(#realfood)に情熱を燃やしています。わたしにとって母は、これまでもいまも、ずっと発想の源なのです。

本物の食べ物を植え、育て、食べる力について教育する自分の(@biggreen)を母が応援してくれることに感謝しています。ありがとう、ママ!」

子どもたちの場合は、12歳になるころには将来の仕事となることに興味を抱いていた。

子どものころ、わたしはイーロンがなんでも読むことに気がついた。わたしも読書が好きだったけれど、読み終わった瞬間にあらすじを忘れてしまう。イーロンはその逆で、読んだものはすべて覚えていた。いつも情報を吸収していた。

わたしたちはイーロンを「百科事典」と呼んでいた。『ブリタニカ百科事典』と『コリアーズ百科事典』を読んで、すべて記憶していたから。だから「天才少年」とも呼んでいる。何だって質問できた。まだインターネットがない時代に。いまなら「インターネット」と呼んでいるはず。

『ブリタニカ百科事典』を記憶していたイーロン少年
『ブリタニカ百科事典』を記憶していたイーロン少年

イーロンは12歳のときに初めてコンピュータを手に入れた。それは1983年のことで、コンピュータは、とても、とても、とても新しかった。

イーロンはその使い方を覚えて〈ブラスター〉というゲームのプログラムを開発した。わたしはそのゲームをモデル学校に来ていた大学生たちに見せた。

すると、コーディングに使うショートカットをイーロンがすべて知っていることに驚いていた。その大学生たちはコンピュータ科学を学んでいる2年生か3年生だったのに、すっかり感心していた。

そこでわたしは、コンピュータ雑誌にゲームを送ってみるよう、イーロンに勧めた。

イーロンが〈ブラスター〉を編集部に送ると、500ランド(500ドル)が送られてきた。おそらく雑誌側は、イーロンが12歳だと知らなかったろう。ゲームの掲載誌はイーロンが13歳のときに出版された。そのあとイーロンが何をするつもりなのか、わたしにはわからなかったけれど。