アパレル店員、フレグランス会社、浮き輪メーカー……転々とした先に見えた道
――IVEなどのK-POPアイドルや世界的アーティスト・ビョークなどから指名が殺到するTomoyaさん。前職が漁師ということでも話題ですが、これまでのお仕事について教えてください。
Tomoya Nakagawa(以下、同) 本当にいろいろやってきました。アパレルの店員、フレグランスの制作会社、浮き輪メーカー、漁師を経て、現在はネイリストをやっています。そのなかでも経歴としては10代から30歳目前まで続けてきたアパレル店員がいちばん長いですね。
将来的にはアパレル系の職で社員になって、安定した働き方ができればいいかなと考えていたのですが、たまたまフレグランス会社の方から声をかけられて転職しました。
その同時期に勤めていたアパレル会社から本社勤務の話ももらっていたので、安定した道を選ぶかどうか、ものすごく悩みましたが、最終的には自分が面白そうだと思える道を選んだんです。
――フレグランス会社でのご経験はどうでしたか?
ディフューザーやキャンドルなどを主に制作していたんですが、そういった商品のボトルや、ラベル、パッケージ、そして香料の液体までいろんなものを、それぞれ異なる会社に見積もりを出して発注し、企画から販売まで携わりました。
商品ができるまでの一連の流れを学べたことは自分のなかで大きな財産になりましたね。自分でも何か創ってみたいという“モノづくり欲”はずっと持っていたので、その後立ち上げた浮き輪を作る会社でも、この時の経験を生かしていました。
――ご自身の“モノづくり欲”から始められたのが浮き輪メーカーの会社だったのですね。
そうですね。ちょうどフレグランスの会社を辞めるとなったときに、「何やろうかな」と考えていて、思いついたのが「浮き輪」でした。
この時は2015年で、インスタグラムの“映え文化”がちょうど始まった頃。当時は今ほど映える浮き輪もなかったので、友人たちと「カワイイ浮き輪が欲しいね」って話して、立ち上げました。
1期目は順調に売り上げを伸ばして、ファッション雑誌の撮影に使われたり、海外からも撮影で使いたいという依頼を受けることもあったり、SNSでも世界各国からDMやコメントが何万と来るような状況で、「これはイケる!」と思いました。
でも2期目からうちの会社のコピー品や廉価版の商品が他社から出始めて、正直「もうダメかも」と思ったんですが、自分が立ち上げた会社が1期目で終わるのもカッコ悪いって思って、見栄を張って続けちゃったんです。
そんな気持ちで挑んだからか、結局その後は納得のいくものができなくて全然売れず、3期目で会社はたたみました。