両親に拒絶され、ひきこもる
仕事を辞めてはひきこもり、また新しい仕事を始める。そんな生活をくり返していた大橋史信さん(43)が変わるきっかけは、不注意で職場の鍵をなくしてしまったことだった。
子どものころから傘や手袋など忘れ物が多くて母親によく怒られていた。だが、さすがに職場の鍵をなくしたのは初めて。「もう本当に無理だ」とひどく落ち込んで、33歳のとき精神科クリニックを受診した。
詳しい検査の結果、軽度精神遅滞(IQ65)、発達障害ADHD(注意欠如/多動症)、ASD(自閉スぺクトラム症)、二次障害として適応障害があると診断された。
以前から、上司などに「何かしら(障害を)持っていると思うから、病院に行ったほうがいい」と何度も指摘されていた。そのたびに心療内科を受診したのだが、検査もせず適応障害と診断され、通院をやめてしまっていた。
「私、ちゃんと診断がつくまでに8か所通っているんですよ。余計な回り道をしたなとは思いますよ。ただ、当時の自分にとっては必要な時間だった。たぶん、いろいろやらかしてなければ、わがままや怠けじゃなく、障害のせいだったって気づけなかったから」
生きづらさの原因がわかり、そこから回復に向かったのかと思いきや、実際は逆のほうへと進む。
原因は両親の拒絶だ。自分には知的障害と発達障害があると話すと、父親は話を聞かずに逃げてしまい、母親にはこう言われた。
「もう結婚も、子どもを持つことも無理だね。私が死んだらすぐ迎えに来るね」
ショックのあまり、大橋さんはひきこもったまま1年近く部屋から出られなくなってしまう。そのときの苦しさをこう表現する。
「ある日突然、マンホールに突き落とされて、前後左右、真っ暗闇になってしまい、何が起こったかわからないような状態。本当に不安で不安でしょうがなかったですね。で、しばらくすると上のほうから声が聞こえてくるんです。なんで働かないんだって。説教の声しか聞こえてこない。不登校のときもそうでしたが、誰一人、私の目線に降りてきて、史信、どうしたんだ、お前の気持を聞かせてくれないかと言ってくれた人が、私にはいませんでしたね。
だからすごい悔しかったし、世の中も親も先生もすべて恨みました。こうなったのはテメーらのせいだ。俺だって、こうなりたくてなったわけではない。お前らの言うことを信じてやってきたのに、何で俺はこういう目に合わなければいけないんだ。俺の話、誰か聞いてくれよっていう気持ちが強かったですね」