やなせは、戦後日本メディアの生き証人だ
やなせが影響を与えたのは同世代の文化人だけではない。後進にも大きな影響を与えた。そんな一人が、コピーライターとして知られる糸井重里だ。
「糸井重里さんは、生前のやなせたかしさんとご自身の運営する『ほぼ日』で2013年に対談されています。
この対談の中で糸井さんは、やなせたかしさんが1950年代に書いた『まんが入門』という本を中学生時代に読んで、漫画家を志したことがある! と明かしているんですね。ちなみにやなせさんの処女作がこの本です。
ここから先は、僕の感想ですが、糸井重里さんとやなせたかしさんはすごく似ていらっしゃるところがあるなあ、と。どちらも世間一般の「正義」に対する懐疑心がある。
団塊世代の糸井さんご自身は学生時代に学生運動に参加していました。でも、学生運動の正義の一部を暴走して、テロまで起こしてしまった。それを見て自分たちが信じていた“正義”が揺らぐという体験をした方は少なくないはずです。
糸井さんは70年代から80年代にかけて、西武百貨店をはじめ、日本の広告を牽引する仕事を次々と行います。学生運動の視座からすると『商業主義』と揶揄されかねない側面もあったはずです。
でも、素敵な広告を見て、普通の人たちが買い物をしたり、日常生活を楽しめるようになる、ということこそが、普通の人たちにとっての“正義”じゃないか。これ、って、やなせさんがアンパンマンで描いた“正義”と通底するなあ、と。
戦時中に国から押し付けられた“絶対的な正義”は、戦争に負けたら、どこかへ行ってしまった。じゃあ、正義はないか。ある。『目の前でお腹を空かせた人に食べ物をあげる』。これこそが時代もイデオロギーも超えた“究極の正義”じゃないか。やなせさんはそう考えました。その思想は糸井さんの現在の活動と重なるなあと」
こうして見ていくと、戦争経験者としてやなせの活動は戦後のメディアやカルチャーとともにあり、その人生を見ていくだけで、戦後日本の姿までもが浮き彫りになってくるといっても過言ではない。
「『アンパンマンと日本人』では特に、やなせさんがこうした天才たちと戦後のメディアをゼロから作った、という話に力点を置いています。やなせさんは94歳まで生きましたが、戦後メディアができあがるプロセスの最後の生き証人だったと私は考えています」
マルチな才能がアンパンマンの人気を作った
興味深いのは、さまざまな文化人との交流や影響関係の中で磨かれたやなせのマルチタレントぶりが、後年のアンパンマンの人気を支えたことだ。
「アンパンマンは、アニメや映画などさまざまなメディアミックスがされていますが、そのなかでも作品が持っているコンセプトはブレることなく伝え続けられています。
実際、やなせさんはアニメや映画の制作についても、かなり細かく注文を出していたようです。ご自身でなんでもできるということもあり、その要求の水準も非常に高かったのでしょうね。
だからこそ、ここまで一貫したメディア展開ができている。いわば、やなせさんのマルチタレント性が今のアンパンマンの長寿ぶりを担保しているように思います」
連続テレビ小説『あんぱん』の放送は3月31日から。アンパンマンが生まれる過程だけでなく、やなせの文化人との交流や多才ぶりにも注目すると、よりドラマをおもしろく見ることができるのではないだろうか。
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取材・文/谷頭和希