トレードに宣戦布告
「そんなふざけた話、受け入れるな!」ホテルニューナゴヤの一室に、梅原の怒号が響く。親同然である梅原のこの一声で広野は球団と戦うことを決意。しかし、何気なしにつけたテレビには『広野功、トレード』のテロップが躍っていた。
記者たちが待ち構えていたのは、このためである。すでに広野のトレードは既成事実として世に出てしまったのだ。
「広野、雲隠れしろ。このホテルにずっとおれ」
梅原に言われ、1週間ほど広野はホテルに缶詰めになった。すると熱狂的な名古屋のファンたちは、広野のトレードに反対する署名運動を開始。若き竜戦士の流出は、大きな騒動になっていた。
しかし、ホテルの窓から、署名運動を眺めている広野に向かって、梅原は諦めたようにこう告げた。
「広野、これは契約上もはやどうにもならん。球界のルールではトレードを受け入れるか、野球を辞めるかのどっちかだ。お前、野球を辞めるか?」
「まだ辞めるつもりはないです」
「じゃあ、明日球団に行け。その代わり、条件を出せ。トレード相手の田中勉と年俸を一緒にしてもらうんだ」
当時の広野の年俸は350万円。対して田中は700万円と倍だ。悪い話ではない。
翌日、広野は待ち構えたファンや報道陣を避けながら球団事務所に入った。そして、球団にトレードを受ける旨と年俸の条件を伝えた。
「広野、それはできない。統一契約書の交換だから、それをしたら偽造になる」
球団社長の小山は突っぱねるも、広野は食い下がる。
中日球団と広野のゴタゴタの解決を待つ西鉄は、“青バット”大下弘(元・東急、西鉄)の永久欠番「3」を解除し、広野に用意していた。これ以上ない、広野へのラブコールである。
しかし、「当時は、背番号なんかどうでもよかったんですわ」と広野は条件にこだわりつづけた。そこには、梅原からの教えがある。
「プロはカネで動く世界だ。カネを稼がなきゃ意味がない。1対1で、しかも向こうがお前を指名してきているんだ。それなら対等な条件にするのは当たり前だろう」
そして、1週間後、広野自身によるタフネゴシエーションの末、ついに球団が折れた。
年俸額を変えない代わりに、中日は広野の年俸にかかるすべての税金を負担する案を出したのだ。税金を負担すれば、広野の手取りは田中に迫るという「ウルトラC」をひねり出したのだ。
広野は逆境を跳ね返し、中日を去って西鉄に渡った。不本意ながらトレードされた広野だったが、その西鉄である男と出会う。この男との出会いが、広野の今後の人生に大きく影響を与えるのである――。
文/沼澤典史 写真/Shutterstock