10代でK-1選手に

小学生時代の浅井(中央。写真/本人提供)
小学生時代の浅井(中央。写真/本人提供)

浅井が格闘技に触れたのは小学校低学年のころ。近所の学校で開かれていた空手教室になんとなく通い、なんとなく試合に出ていた。

「ただ、型の美しさを競う大会に出ると、麗斗は手足の指がないので、毎回審判員がどうジャッジしたらいいのか、戸惑った様子で集まって協議してましたね。親の勝手な思い込みかもしれないですけど、シャープに見えないからか、結局負けたりする悔しい経験が何度かあって」(典文さん)

キックボクシングを始めたのは小学校5年のとき。典文さんに「いじめられないように」と地元埼玉の道場に連れていかれたその日から、すぐにのめり込んだ。

ただ、ここでまた別のハンディキャップの壁に当たる。浅井は幼少期に医療機関の指導で低身長症検査を受けるほど、ひときわ体が小さかった。中学時代は学年で出場枠が変わるジュニア大会に出場していたため、同世代の子と体格差が激しく、「負けてばっかりだった」と浅井は苦笑する。

「試合で体重差10kgとかはしょっちゅうでした。これも先天性のものかわからないんですけど自分は太れない体質で、プロになってから今まで減量したことが一度もないんです。なので相手はいつも自分より大きな選手で」(浅井)

指が欠損した右足では地面をうまく蹴ることができないため、ボクシング転向後は左構えに変えて練習を続けている。
指が欠損した右足では地面をうまく蹴ることができないため、ボクシング転向後は左構えに変えて練習を続けている。

それでも、体格差を理由に敗戦の言い訳をしたことは一度もない。格闘技の熱は冷めず、中学卒業後は通信制の高校に通いながらプロのK-1選手を目指し、3年後にアマチュアの大会で優勝したことで、プロデビューを果たす。

K-1時代の浅井(K-1ホームページより)
K-1時代の浅井(K-1ホームページより)

「本当はすぐにプロデビューする予定だったんですけど、3年かかってもう辞めようとしたときに優勝できて、なんとかプロになれました。なので、10代でK-1プロデビューといっても自分はまったくエリートとかじゃないですよ。結局K-1では6戦して、2勝2敗2分でした」