地方ジム所属選手として稀有な世界挑戦
9月26日、世界タイトルマッチの記者会見で、挑戦者のユーリ阿久井政悟が緊張で少し声を震わせながら言った。
「岡山のボクシングの道を、もっと自分が切り拓けたらなと思います」
「スポーツの地域格差」はさまざまな競技で課題とされているが、プロボクシングの世界も例外ではない。地方ジムの多くは指導者やスパーリング相手が慢性的に不足している。世界王者を輩出したジムの所在地は首都圏や大阪・名古屋かその隣接県が大半だ。それ以外の地方ジム所属の世界王者(JBC公認)は、戦後プロボクシングの70年以上の歴史で沖縄県の平仲明信、福岡県の越本隆志、熊本県の福原辰也の3名だけ。絶望的に少ない。そもそも、地方ジムの選手が世界挑戦することさえ10年に1度あるかないか、というレベルである。
阿久井が所属する倉敷守安ボクシングジム所属は、岡山県倉敷市の国道沿いにある。3階建ての建物で、1階がジム、2階、3階は守安竜也会長の自宅である。少し歩けば、温暖な気候の岡山平野に敷かれた田んぼが広がる、ど田舎の「地方ジム」だ。現在会員数は50名程度で、うちプロボクサーは8人だという。
ジムを訪れたのは9月中旬、世界戦が公表された翌日だった。阿久井は大事な試合が決まっているにもかかわらず、後輩がスパーリングをしているときは自分の練習を止め、「そこで手を出せ」「足を使え」など、リングの外からアドバイスを送っていた。
「僕はアマチュア時代から県外に遠征して、他のジムの選手がどういった練習をしているのか見る経験がありました。でも、守安ジムの後輩たちはそれがわからないですし、指導者も少ないジムなので、自分がサポートしています」(阿久井)
ジムの看板選手である阿久井が日本王者となったのは2020年。岡山県にあるジム所属のボクサーとしては38年ぶり、史上2人目の「快挙」だった。
本来ならここから、ボクサー・ユーリ阿久井政悟の来歴を紹介すべきだろう。しかし、彼の世界挑戦までの足跡は、所属する倉敷守安ボクシングジムと会長が辿ってきた隆盛と受難と屈辱の歴史と切り離すことはできない。
「地元で開催しとる自主興行は、よくてトントン。だいたいが100万円以上の赤字ですわ。でも選手を育てるには試合を組んだらんといかんですけえ」
守安ジムの守安会長はジム黎明期の1992年から自主興行をスタート。途中、休止期間はあったが、期待のホープである阿久井をサポートするために2016年に復活させた。
そもそも守安会長が自主興行を開始した理由は別にある。「自分と同じように地元判定で悔しい思いを選手に経験させたくない」という思いからだった。