#1(前編)のつづき
「あ、世界チャンピオンになれるやんって」
ボートレーサー養成所の推薦が得られる日本ランカー5位以内を目指して、2014年にプロデビュー戦を迎えた拳四朗は、最初から注目度の高い選手だったわけではない。井上尚弥のようにデビュー2戦目から地上波生中継が組まれることなどもちろんなく、決して珍しくない親子鷹ボクサーの1人という評価だった。
初めて東京で試合をした3戦目も、当時10戦無敗で躍進を続けていた対戦相手の長嶺克則選手の下馬評が高く、拳四朗が負けることも十分にあり得ると思われていた。
しかし、蓋を開けてみると終始、拳四朗が小刻みなステップで試合をコントロールし続け、会場の客を驚かせた。
「デビューして順調に日本ランカーになったんですけど、これ日本王者なれるやんって。ここでやめて競艇選手目指すのももったいないかなって。
で、日本王者に挑戦して勝って、そしたら世界ランカーになるじゃないですか。ほんならこれ、世界王者になれるやんって。で、世界チャンピオンになって…。そのへんですかね、『競艇ではなく、ボクシングで生活していこか』ってなりました」
本人は淡々と振り返るが、世界王者になるまでデビューからわずか3年しか経っていなかった。
ボクサーのなかには仕事や家庭を犠牲にして、ハングリー精神を高ぶらせて試合や練習に打ち込む選手もいる。一方で、「デビューからしばらくは実家で暮らしてたし、お父さんのジムでトレーナーのバイトもしてたんで、ファイトマネーがあればそれで生活の不自由とかはなかったですよ」と飄々と話す拳四朗の世界王者奪取までの足跡には、苦労人のイメージはない。あるいは、そう見せない。
「才能……んー、センスはあるほうなんちゃうかなとは思いますよ。スポーツって努力だけやとやっぱ限界はあるから」
こんな話もどこか他人事のように話すから、まったく偉ぶったところや嫌味がない。
「世界タイトル獲ったときは、達成感はありましたよ。でもずっと仕事と思ってましたから」
世界王者になってから出演したテレビのバラエティ番組では、「グルメレポーターになりたい」と言って出演者を笑わせた。トークショーでは、「もっと有名になってキャーキャー言われたい」「原宿とかを歩いたときにパニックになるくらい」と話して会場がどっとわいた。
防衛戦の試合後はまるで遊び終えた後のような愛嬌たっぷりの笑顔とダブルピースが定番となった。リング以外では、血と汗と涙が似合う従来のボクサーのイメージとは違う、どこにでもいそうな自然体のキャラクター。有名漫画の主人公と同じ名前の王者は、むしろちょっと素直すぎるくらいのベビーフェイスとして、ファンの間では浸透していった。
しかし、そんなイメージからかけ離れた出来事が起こる。2020年の泥酔事件である。