「今日という日が一番若い」の続きを考えたことがあるか?
「今日という日が一番若い」この手の名言めいたものを一昔前、やたら見聞きしたような気がする。
誰が言った言葉なのか、今回の文章を書くにあたって調べてみたが、はっきりしたことはわからなかった。いろんな時代にいろんな国で、いろんな人が似たようなことを言っている。
それほど語り尽くされた言葉が突然僕の目や耳に飛び込んできたのは、たぶん僕が今よりも若く、とはいえ歳をとりつつあることを自覚し始めたタイミングだったからだろう。
そしてかつての僕はその名言に背中をおされ、何かを決断し、行動を起こし…たのかどうか思い出せない。
たぶんなにもしなかったか、あるいは間違った方向に進んでしまったのかもしれない。いつしか「今日という日が一番若い」的な言葉を目にしても(あたりまえだろ。だからなんだっていうんだ?)と思うような、擦れっ枯らしの中年になっていた。
今さら新しいことを覚えたり、行動を起こすのは面倒だし、難しいし、無理。いま手元にあるものだけでなんとか生きながらえさせていただけないでしょうか……。
そんな僕の胸に「今日という日が一番若い」的な言葉をひさしぶりに響かせてくれたのは、取材で訪れたAGAクリニックの先生だった。曰く「治療を始めるなら早いうちのほうが効果がある」
クリニックの顧客を増やすための勧誘の言葉としての意味合いもきっとあるのだろうと思うが、医学的な知識がまったくない自分でも、ツルツル頭のおじいさんになってからAGA治療薬を飲んでもな…というのは感覚的にわかる。
なるほど、この歳になっても「今日という日が一番若い」のか。
だけどタイムリミットがあるのだな。誰かの名言に、新しい文言が足される。
「今日という日が一番若い。とはいえ残り時間は僅か」
最近かつての知人がSNSで「自動車免許を取った」という報告をしているのを目にした。同業者で、たしか同い年だった。いいねを百回くらい押したい気持ちになった。
先日はこれまた近しい業種の同年代の知人がYouTubeチャンネルを開設した。僕がYouTubeをやりたいかどうかはさておき、これも新しい挑戦の一つにちがいない。
擦れっ枯らしの中年の心は揺さぶられてしまう。自分にもまだなにかができたりして?
文/トリバタケハルノブ