〈前編〉

「死んだら死んだでいいやと」

1回目のひきこもりを脱した石丸あゆらさん(46)は、調理師の資格を生かして4年ほどパートで働いた。だが、手取りは10万円弱。親の扶養に入ったまま自立していないことが後ろめたくて、フルタイムで学校給食の調理の仕事に就いた。31歳のときだ。

見よう見まねで必死に仕事をこなしたが、わからないことを周りの人に聞くのが苦手で、なかなか仕事に慣れない。2年目の夏休みに入ったら、張り詰めていた糸がプツッと切れてしまった。

仕事始めの日。石丸さんは2度目のオーバードーズをしてしまう――。

石丸あゆらさん
石丸あゆらさん
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その当時、石丸さんには恋人がいた。ひきこもった過去や双極症(うつ状態と躁状態をくり返す病気)を患っていることを知った上で付き合ってくれた穏やかで頼りになる人だった。仕事が辛くて結婚して辞めたかったのだが、彼に「今は結婚を考えられない」と別れを切り出されてしまう。彼との別れがショックで薬を飲んだのかと聞くと、石丸さんは否定する。

「結婚に関しては彼に依存的な状態だったんだと思います。別れようと言われたとき、結婚という円満に仕事を辞められる方法を失ったのが一番ショックでした。とりあえず、明日を回避したくてオーバードーズしたんです。仕事を辞める方法なんて、いくらでもあるのに、視野が狭くなっていて、死んだら死んだでいいやと」

飲んだ薬の量がそれほど多くなかったので大事には至らなかったが、石丸さんは再び、家にひきこもってしまった。

 一生食べていける仕事が見つからない

2回目のひきこもりは1年半に及んだ。食べることでストレスを解消していたら太ってきたので、ダイエットサイトをのぞくのが日課になった。

「舞茸と白滝を細かく刻んでご飯に混ぜて食べたり、1日中、ダイエットのことだけ考えていました。ダイエットガチ勢になると、サイトの中でも一目置かれるようになって。交流を続けていたら、自分は美容や健康が好きなんだなと気が付いたんです」

その当時、流行っていたのがリンパマッサージだ。理学療法士の学校で学んだことが活かせる部分もあって興味を持ち、研修を受けてリンパマッサージ店に就職した。

写真はイメージです(PhotoAC)
写真はイメージです(PhotoAC)

「初めて本当にやりたい仕事に出会った」と感じて、充実感もあり楽しく働けたという。店長を任されるまでになったが、結局、4年弱で退職した。

「店長になると売り上げノルマのプレッシャーがあって……。それに指の力を使うし体力が必要な仕事だから、体がしんどくなってきたんです。夜10時に終わって、お店を片付けて終電に乗って帰って来ると、疲れ切って動けなくて」

次の仕事の当てもないまま辞めてしまったので、職業訓練に通いパソコンの勉強をした。だが、やりたい仕事が見つからない。

「事務職を希望しても、39歳の未経験者を採用するわけない。じゃあ、一生食べていける仕事って何があるんだろうと悩みだしたら、落ち込んでしまって……。就職活動って、自分を売り込まなきゃいけないけど、私には売り込む要素がない。

社会不適合者じゃないけど、職歴は穴あきで、『この間何していましたか』と突っ込まれたら嫌なところだらけで。親にもいつまでも頼れないし、人生で初めて食欲をなくす状態になって……。またひきこもってしまったんです」