避難所には「HOUND DOG」の初代ベーシストの姿も

「TEAM JAPAN」はこの日、羽咋市の拠点施設で焼いた「壷焼きイモ」を、避難所となっている公立穴水総合病院(穴水町川島)に運んだ。被災生活が長引いている70代の女性は、うれしそうに焼きイモをほおばった。

「やっぱり火の通ったモノを食べられるのはうれしい、炊き出しはありがたいね。地震が起きてからは、火が使えないからサバの缶詰とかレトルトカレーくらいしか食べられなかったし、水がないからお米すら炊けない。

そんな中で、これまで何度も炊き出しのボランティアが来てくれて、焼きそばやフランクフルト、カレーライスを食べさせてもらった。その中でもやっぱり、地震が起きてから初めて食べたごはんと梅干しの美味しさは忘れられない。ふだんの自分がどれだけ贅沢な暮らしをしていたか身に染みてわかったよね」

壷に吊るされたイモ
壷に吊るされたイモ

被災地には「TEAM JAPAN」とは別のボランティアたちも大勢いる。地震発生当初約500人の被災者が身を寄せ、今は約80人が避難している七尾市田津浜体育館で活動していたボランティアは、かつては人気ロックバンドのメンバーだった。

NPO法人水守の郷・七ヶ宿の海藤節生理事長がその人だ。1976年に結成された「HOUND DOG」の初代ベーシストで、バンド脱退後は喫茶店の経営や土木作業員、国会議員秘書などさまざまな職を経て、2008年に仙台市でNPO法人を立ち上げ、環境保全活動にも取り組んできた。2011年の東日本大震災では被災者でもあり、災害ボランティアも経験済みだ。

海藤節生理事長
海藤節生理事長

「私自身はふだんは宮城県の七ヶ宿町という、少子高齢化が進み、人口が1200人を切ってしまった山村過疎地で活動していて、小中学校や大学に出向いてボランティア講座や課題解決能力を身につけるような教育も行なっています。

宮城県内や山形、新潟などの友達から物資が集まってきたので車に積んで七尾市に向かい、1月4日の朝に到着しました。まだこの辺はコンビニも開いていたり、買い物もできましたけど、穴水、能登、珠洲と回ったら全然状況が違ったので、七尾に置く予定で持ってきた物資を、珠洲市役所に飛び込みで提供しました」

以降は豊富な経験を活かして、現場のコーディネーターや行政職員とも連携し、被災者により添った避難所運営の視点からボランティア活動に腐心している。

ボランティア元年といわれた阪神淡路大震災から29年の月日が流れた。受け入れ側も含めて仕組みや手順は整ってきたが、「被災者の喜ぶ顔が見たい」という本質的な欲求が、時代を超えてボランティアを突き動かす。今日もどこかで無名の義勇兵たちが瓦礫と格闘しているに違いない。

フリーターや“子ども部屋おじさん”も参加! 職業も性別も多士済々、全国から義勇兵が続々…「今、自分たちにできることを!」人気バンド元メンバーの姿も〈密着・能登ボランティア〉_8
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取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
撮影/Soichiro Koriyama

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