ジェンダーの最先端は児童書にあり

内田 話題を変えてもいいですか。部活の話をメインにした対談をと言われていたので、『ラベンダーとソプラノ』も「合唱クラブの話ね」と思って読み始めたんです。ただ、割と早い段階で、朔ちゃんが「背が高くなるのがそんな嬉しくない人もいるんだよね」みたいなことをさらっと一言言うんです。そこについて、ん? 何でだろうなと、少し引っかかったんです。
 で、その次に引っかかったのが、朔ちゃんが自分のことを「朔ちゃん」と呼んでいるということ。これに気づいたとき「もしかして、この本は部活とは別のストーリーとして、ジェンダーの観点も走らせているんじゃないのかな」みたいなことを感じたんです。そしたら実際にいろんな場面で、ジェンダー、性役割の話が後半どどどどどどって出てくるわけじゃないですか。それがすごく面白かった。

額賀 本当ですか。嬉しい。

内田 というのは、私自身がジェンダー問題で大学院に進んだんですね。ただ、私が院に進んだ2000年前後、社会科学の分野でジェンダー研究は最先端を進んでいました。なので、学問としてやるには競争相手が多過ぎる、ジェンダーは難しいぞ、ということを指導教官に言われ、確かにそれはそうだと思ったんです。
 そこで、ジェンダー、言い換えれば性役割の問題の中でも特に母子関係の虐待にテーマを少しずらして、社会学で虐待の問題を調べてみようかと指導教官と話し合ったんです。ただ、虐待は学校の外の話なので、学校を中心に研究する教育学の中ではややマイナーなテーマなんですね。なので、虐待のことで博士論文を仕上げた後は、学校での子供の様々な被害として部活での怪我のことを調べて、そのうちに教員の長時間労働がだんだん見えてきて、今日の話題があるわけで。でも、出発点は実はジェンダーなんですよ。そうした研究人生だったので、『ラベンダーとソプラノ』の中にあるジェンダーについても、めちゃくちゃ反応しちゃいました。

額賀 ありがとうございます。『ラベンダーとソプラノ』は活字のちょっと長い読み物を読める小学校高学年を読者に想定しているんですが、実はちょうどこの辺りの児童書が、価値観の最前線にいるんじゃないかと思っているんです。

内田 はあー。

額賀 ほかの作家さんが書く児童書を読んでも、大人向けのエンタメ小説で「今が旬のテーマ」とされているものが、児童書では少し前に書かれていたりするんです。
 私が『ラベンダーとソプラノ』を書いたのは二年くらい前ですが、例えば当時、女の子の格好をする男の子が出てくる大人向けのエンタメ小説があったとしたら「その子が女の子の格好をするのにはシリアスな理由がある」という物語として書かれる場合が多かった。むしろそこが物語の盛り上がりポイントだった。ただ児童書だと、二年前の時点で「その男の子が女の子の格好をするのには、そんなに大きな理由があるわけじゃない。やりたいからやってるだけ」みたいな。

内田 すごい……!

額賀 その子の友達の視点でも、「僕の友達は毎日スカートをはいて学校に来ている」と、ただありのままを受け止めているんです。

内田 その話めっちゃ面白い。やばい。何でかって、自分として読んでいて、ほっとする場面とかがあるんですよ。例えば、朔ちゃんが声変わりをすると。それを主人公の女の子、真子ちゃんとか、あるいは朔ちゃん自身も受け入れようとして物語が終わるわけですよね。このフラットさが良いなと思いました。
多くの人は、性への違和感をどこかで受け入れていかなきゃいけないタイミングがあると思うんです。私は、建前として性別は非公表としているのですが、実際のところ男として生まれ、育てられてきたことは塗り替えられないし、十八の頃までに培ったいろんな自分の男性的な、もしくは女性的なものがあるじゃないですか。みんながそれを理解して受け入れるというフラットな落ち着きどころに、すごく未来を感じたんですね。それがすごく新しい描き方だなあと。

額賀 特に児童書を書くときは、大人向けを書くときよりもその辺に気をつけなきゃなと思っていました。児童書は、小六とか、中一とか、それこそ今から部活にのめり込んでいくようなときに読むものだから、その子に何をもたらすかということを考えています。私以外の児童書のキャリアが長い作家さんもきっとみんなそうで、だからこそ現実の一歩先、それも、よりいい方へ一歩進んだ世界を書こうとしているんじゃないかと。
例えば、自分の性別に違和感があるという主人公を書くとして、安易にエンタメにしようと思ったら、アウティングが描かれたり、カミングアウトによって両親との軋轢が生まれてしまい~なんて展開をドラマチックに書くこともできますが、性別に違和感があったとしても、それを周囲に「自分の本当の性は○○なんだ」と表明する必要もなく、他人に受け入れて許してもらう義務も別にないじゃん、というのが現実の一歩先なんじゃいかと。

内田 最終的にはそこに行くべきなんですよね。それでいいじゃんという。

額賀 主人公の悩みに対して、「それでいいじゃん」というものにちゃんと「それでいいじゃん」と言ってあげるのが、児童書の大切なところじゃないかと思います。

内田 なるほど。いや、本当に『ラベンダーとソプラノ』は全部のストーリーが面白かったです。自分の聞きたかったことは全て聞けました(笑)。

額賀 こちらこそ今日は内田さんとお話しできて嬉しかったです。ありがとうございました。

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