山崎ナオコーラ×奥山景布子
研究者時代に抱いた強烈な違和感、
敵を取りたいみたいな気持ちで書きました

『フェミニスト紫式部の生活と意見 ~現代用語で読み解く「源氏物語」~』がまもなく刊行となる奥山景布子さん。一方、今年3月に『ミライの源氏物語』(淡交社)を上梓された山崎ナオコーラさん。このエッセイ2作品は、「源氏物語」が現代的な視点で読み解かれ、私たち読者に新たな気づきをもたらし、さらには古典への興味を広げてくれるものとなっています。初対面という奥山さんと山崎さんですが、互いに共感するところは多くあるよう。お二人に「源氏物語」についてお話しいただきました。

構成=中里和代/撮影=石井康義(千代田スタジオ)

『フェミニスト紫式部の生活と意見 ~現代用語で読み解く「源氏物語」~』著:奥山景布子×山崎ナオコーラ 対談_1
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アカデミアで抱いた
強烈な違和感

奥山 山崎さんが最初に「源氏物語」に出合ったのはいつごろでしたか?

山崎 学校の教科書だったと思います。中学校の授業でやって、高校時代に大学の受験勉強でやって。実は私、高校生のころ全然しゃべれなくて友だちがいなかったんです。学校でいつも一人で本を読んで、休み時間は居場所がないから無駄に手を洗って(笑)。部室のドアが叩けなくて文芸部の入部を諦めて。そんなときに「源氏」を読んで、受け身な主人公やヒロインたちに興味を持ちました。同じころ、谷崎潤一郎にもはまりました。当時は、主体性を持って自分で道を切り拓いていくヒロインがもてはやされていたけど、自分はそうじゃない、それに自分の性別にもなじめない。どうしたらいいんだろうと思っていた時期でした。そんな状況から、「源氏」や、しゃべらない主人公が出てくる谷崎の『細雪』に共感したのかもしれません。

奥山 分かります。私は子どものころ、偉人伝や古典を子ども向けにリライトした本で「源氏」と出合いました。中高生のころ夏目漱石、森鷗外、三島由紀夫、志賀直哉とかを読んだんですけど、なかでも近代の男性作家では私も谷崎が好きなんですよ。女性の時代小説作家さんのなかにも「谷崎いいですよね」とおっしゃる人が多くて。これはジェンダーに関係があるのでは? と思った覚えがあります。

山崎 その後、大学の日本文学科で「源氏」を学びましたけど、奥山さんのように本気の研究というほどでは……。卒論で「浮舟」のことを研究したので、作家になったからにはいつか「源氏物語」のことを書きたいという想いは野心として持っていました。

奥山 大学時代、研究者の言葉遣いとか物の見方とかに、疑問を感じることってありました?

山崎 こういう言い方をしていいか分からないですけど……大学の研究者って「おじさん」ばかりじゃないですか。やはり違和感はありました。

奥山 やっぱりありますよね。私も大学で国文学を学びました。卒論で近代の女流作家をやるか、平安時代の女流文学をやるかで迷ったんですけど、平安って「源氏」をはじめ、女流日記もあるし女性の歌人も多いでしょう。当時の女性たちが残した生の言葉が読める機会が増えると思って「平安の女流文学」をテーマに選びました。でも、いざ論文を書こうとしても指導教員に「きみの捉え方は主観的だ」「その読み方は深読みだ」とか言われちゃって……。

山崎 そういった違和感や疑問を『フェミニスト紫式部の生活と意見』でお書きになってましたよね。すごい分かると思って(笑)。本の中の第二講に「『源氏物語』をはじめとする、『古典』への『注釈』は、こうした権威のある歌人、学者から始まり、やがて近世になると『国学』という領域に置かれ、近代では『国文学』として大学などで担われ、『学会』も組織されてきました」とありますけど、権威ってつまり「男性」ですよね。私が大学で学んでいたのは二十年ぐらい前でしたけど、それこそ権威目線の授業という感じで、そこに違和感がありました。

奥山 まさに山崎さんが大学生だったころ、私は教員になったんです。教えながら論文も書いていたんだけど、論文の中に「ジェンダー」という言葉を入れたり、フェミニズムっぽい言葉遣いをすると、査読に通らないんです。古典を論ずるのに現代的な物の見方を入れるなと言われてしまう。論文を掲載してもらえないと研究者の業績とみなされないんだけど、でもそのために男性の学者たちと同じ「客観性を保証する」みたいな言葉遣いをして、同じような物の見方をしないといけないの? ととても悩んだ時期がありました。

山崎 やっぱり大学の中って、世の中とは違う権威みたいなものがありますよね。

奥山 そう。何か違う空間になっているのかなあと、当時感じていました。

山崎 『フェミニスト紫式部の生活と意見』では現代用語で「源氏物語」を読み解いていらっしゃいますが、こういった切り口で書こうと思った理由というのは。

奥山 研究者時代に抱いた強烈な違和感、敵を取りたいみたいな気持ちです。あのころは否定されてしまった、今の世の中に見合った新しい物の見方で書いてしまえと。もう研究者じゃないんだし誰にも怒られない、そんな想いからです。

山崎 あ、それは若干感じました。「おじさん」に対する想いみたいなのが、にじみ出ているなと(笑)。