「海外で活躍する芸人の先駆者」
南部さんとはダチョウ倶楽部時代からの付き合いだという、タレントで放送プロデューサーのデーブ・スペクター氏もその死を悔やむひとり。電撃ネットワークは「TOKYO SHOCK BOYS(トーキョー・ショック・ボーイズ)」という名前で海外でも活動していたが、実はそのデビューの恩人ともいえるのがデーブ氏なのだ。
「初めて会ったのは86年の『新春かくし芸大会』だったと思う。当時、南部さんはダチョウ倶楽部のメンバーで一緒にチャンバラ芸をやりました。その後、『夕やけニャンニャン』などでもご一緒しましたよ」
その後、90年に電撃ネットワークを結成。過激なパフォーマンスを展開する同グループを見て、「これはアメリカで絶対ウケる」とデーブ氏は確信を持ち、アメリカに売り込んだという。
「1991年かな。ちょうどFOX TVで『Best of the Worst』というとんでもないコメディ番組が始まるということで、南部さんに話したらすぐにノってくれて。FOX側もそれまでの日本人の真面目さや寡黙さというイメージからかけ離れたパフォーマンスをする彼らに度肝を抜かれてました。これはビデオを送って放送するよりも生で見せたほうがいいだろうということで、グループみんなで渡米したんです」
最近ではゆりやんレトリィバァや、とにかく明るい安村がアメリカやイギリスのオーディション番組で活躍したことが話題となったが、「電撃ネットワークこそ、その先駆者だよね」とデーブ氏は語る。
デーブさんはXで「どうか天国にコンプライアンスがないからぶっ飛んだ芸を続けてください」(原文ママ)と追悼した。
「最近はコンプラの影響で、過激な芸をする人がテレビに出られなくなっている。電撃ネットワークは学園祭のスターだったけど、それにも呼ばれなくなっていたしね。残すは、えがちゃん(江頭2:50)だけだけど、彼もYouTubeに行ってしまって。テレビがどんどんつまらなくなって悲しいかぎりだよね。
まぁ電撃ネットワークがアメリカデビューした当時も、睾丸で重いものを持ち上げる芸は過激すぎだって公開不可になったみたいだけど(笑)」(デーブ氏)
令和時代に数少ない本物の芸人がまたひとり逝ってしまった。慎んで冥福を祈りたい。
取材・文/河合桃子
集英社オンライン編集部ニュース班