人類はこの先しんどいだろうと思うからこそ

上田 『最愛の』を書いていて思ったんですが、推しがいる、つまりファンであるという現象と、性が乖離しているのが現代じゃないかと。アイドルを追っかけながら肉体関係を結ぶ相手は別にいる、みたいな感じが一部の層にはあって、実はそれが、効率を最大限に追求したときのリアルなんじゃないかなという気がしています。その両者がまだ統合されていた時代やその感覚を、現代に適合しきった30代の男性主人公が逆照射して浮かび上がらせるという構図は、若干意識して書きました。

波多野 上田作品に通底していますが、人間が来るところまで来てしまっている感じを表現していますよね。自然とそういう内容になったんですか。

上田 僕の視点としては、小説で他に何か書くべきことってある?って感じてますね(笑)。あくまで現時点では、そこからどうしても僕は目を離せない。波多野さんは今回のアルバムでは何を意識していたんですか。

波多野 歌詞を書く上で一番配慮したのは、口当たりのよさとユーモアです。制作の中で悩んだらそれらを選ぶようにしていました。意識しないと、とにかく悲観的で絶望的な内容になることを僕自身が知っているからです。

上田 ああ、分かります。

波多野 僕は世の中をそういうふうに見ているし、同じ見方をする人は少なくないと思う。だからこそ、同じように思っている仲間がいるんだよと発信したくて。

上田 心境の変化があったんですか。今作からなのか、前作「Tabula Rasa」あたりからなのか。

波多野 震災後、次第にですね。自分たちはどういう社会を生きているんだろうということがテーマになってきたのが2011年以降で、そのあたりから、人間は何かを間違えたんじゃないか、間違った文明の進化をしてきたんじゃないかと意識するようになって、それが個人的なメランコリーとして表れたのが「Tabula Rasa」です。そこから浮上し、沈んでいる場合じゃないと奮起して作ったのが今回の「Camera Obscura」になります。

上田 僕も、これまではどちらかというと、どぎつくても真実に近い方向に最短距離で、という書き方をしていたんですけど、今回は、無駄に読者を傷つけないようにとか、誤解がないようにとか、そういったことに気を配って書きました。というのも、このまま世界が効率化を目指して進む一方だと、ある種絶望的な状況が想定できすぎてしまうがゆえに、そんな中でも表現行為や考え方、日々の過ごし方みたいな細部によって救われるという経験を積み重ねていかないと人間はこの先しんどいだろうと思ったからなんです。逆に言うと、そこを最後の首の皮一枚で繋ぎ続ければ、人類は何とか持続するんだろうなという感触があって。
 「これは真実だ」と悲観的な状況をバーンと提示するのではなく、それが真実だとしても、それを受け取る接地面としての小説では、読者に気を遣い続けるのが作家にとっての最後の生命線じゃないかという感覚が、心のどこかではありました。最終的にここが繋がっていれば大丈夫だよねというところがないと、小説のラストって書けないかもしれないですね。過酷な現実を突きつけて踏み抜くのは簡単なんです。

【後編へ続く】

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