魅力的なキャラクターとリアリティ

波多野 新作の『最愛の』、めちゃくちゃ面白かったです。

上田 ありがとうございます。

波多野 『ノルウェイの森』を彷彿とさせました。

上田 かもしれませんね。実は『ノルウェイの森』は僕が初めて読んだ純文学です。あの作品で書かれているのは、通信手段が手紙や電話しかない時代ですよね。今とは全然違う、我々はぎりぎり分かるけど、恐らく今の10代の子には分からない世界。
 でも『最愛の』の出発点はもともと、2000年ぐらいに書いた、初めての小説が原案なんです。そのときの僕は、新人賞の存在も知らず、小説の書き方も分からなかった。少なくとも小説を書かないと作家にはなれないことぐらいしか分からない中で、20、21歳ぐらいのときに書いた、450枚くらいの小説が『最愛の』の過去パートの下敷きなんです。読んでいる作品数も当時はそう多くなかったから、その原案部分に影響が出ているかもしれません。

波多野 その作品は応募しなかったんですか。

上田 調べたら、400枚を超えると、どの純文学の新人賞でも規定枚数を超えるので、これは駄目だと分かって、別のものを書いて応募し始めました。今年でデビュー10周年でもあるので、そろそろあのテーマをもう一回ちゃんと書いておきたいという気持ちがあって。

波多野 僕は村上春樹作品を好きで読んでいるので、『最愛の』の序盤でそれっぽいなと思いつつ読み進めていくと、共通点じゃなくて相違点がどんどん浮き出てきて、その相違点こそが本質に見えてくる。最終的には僕の頭の中から『ノルウェイの森』は消え、完全に上田さんの小説になって終わった。とても不思議な感覚でした。いや、もうすごかったです。

上田 ありがとうございます。一例ですけど、『ノルウェイの森』では、ヒロインの直子は「私のこと忘れないで」と言いますけど、『最愛の』のヒロインの望未(のぞみ)は、逆に「私のことは忘れて」と言うんですよね。そんな乖離もあり、他にもいろいろツイストがあって、それからこれまで僕の短編で練り上げてきた個人的に大事なエピソードを組み込み、『最愛の』の世界になっていく。だから「型を守り、新しい要素を取り入れ、最終的には自分独自の流儀を構築するという『守破離』の過程を全部見せました」みたいな構造になっているなと改めて自分で読んでみて思いました。

波多野 さっき話題にした「技術」と繋がっているのかもしれませんが、シンプルに映像が浮かびやすかったことと、キャラクターが魅力的だったということも、面白かったです。上田作品の感想として、こんなの珍しくないですか(笑)。

上田 珍しい。基本、そういうものから一番遠い作風でしたから。

波多野 ラプンツェルなんて、いいキャラクターだなあと思って。

上田 ああいうタイプの女性が好きですか?

波多野 友達になっちゃうタイプかもしれないですね。

上田 彼女は、自分のやりたいことのために、社会的に成功した男の庇護を受けることを敢えて選んでますけど、そこに性的な関係はなく、その男の偶像であり続け、彼の物語の一部になることを承諾しています。そして主人公の久島(くどう)とも、いったんLINEで繋がったあとは、会うこともなく、テキストだけで望未との物語を聞き続ける。ああいう突飛なキャラクターをいかに説得力を持たせて登場させるかは、自分の中でも挑戦でした。

上田岳弘さん(作家)が波多野裕文さん(ミュージシャン)に会いに行く【前編】_3
上田岳弘さん

波多野 どのキャラクターもみんなそれぞれに突飛でしたけど、リアリティを持っている。文学でいうリアリティって意外とリアルじゃない場合もありますけど、上田さんの小説のリアリティって相当にリアルですよ。たとえば『ニムロッド』だと仮想通貨が出てきますが、そういう経済の話とか、あるいは喫茶店で隣の席から聞こえてくるような儲かる儲からない話、モテるモテない話とか、そういう“チャラい”文脈もしっかり入っている。そういうリアリティから始まるのが上田作品らしいところでもあり、しかも作中でしっかり機能している。

上田 同じくコロナ禍の期間に書いた「旅のない」という短編に、村上さんという登場人物が出てくるんです。その人は、娘が林間学校に行っている間、彼女のたまごっちを預かって世話しなきゃいけないと言って、“僕”にそれを見せつつ、あとで、「実は僕は村上ですが、偽名を使って生きていて、娘なんかいません」みたいなことを言う。でも、そんな告白の前に、たまごっちの世話みたいなしょうもない些事を先に見せつけられると、それに付随するものも嘘だと思えなくなる効果を、技術的には使ってはいます。「すごく突飛だと思ったけど、あのときのあのしぐさがリアルだったから納得せざるを得ない」みたいな。

波多野 僕が『最愛の』で好きだったエピソードは、作中人物の向井くんが言う「モテるためにはモテればいい」の話です。

上田 実はあの「モテるためにはモテればいい」って、僕の実感的にもそうなんですけど、そういう友達がいたんです。彼を見て僕なりに解釈したわけなんですが、実際目の当たりにしたからリアリティを生み出せたところもあると思います。経験しなくても書けるというのは一つの事実ではあるけれど、経験の種みたいなものは実生活じゃないと得られないという気が。だから僕は、種みたいなものを実生活から拾って、それをリアリティの説得力の材料にすることは往々にしてあります。
向井くん、僕も好きなキャラクターです。

波多野 彼はいいですよね。完全に虚無なのに能力がすごくて。ニヒルというか。

上田 それが実は、メタ視点で見たときの人間の全体像になりつつあるのかなという気がします。人類は全体としてめっちゃ能力は高いけど、その目的は存在しないとみんなうっすら思ってて、血の繋がりとか世俗的なわかりやすい力以外に価値を感じられなくなっている。ルックスとかお金とか、表面的なものやマテリアルなもの以外は信じることができない、という。