「人はなぜペソアに惹かれるのか」澤田直×山本貴光 『フェルナンド・ペソア伝 異名者たちの迷路』対談_1
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「人はなぜペソアに惹かれるのか」澤田直×山本貴光 『フェルナンド・ペソア伝 異名者たちの迷路』対談_2
フェルナンド・ペソア伝 異名者たちの迷路
著者:澤田 直
定価:3,080円(10%税込)

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 ポルトガルの国民的詩人フェルナンド・ペソア。自分とは人格の異なる人物を何人も創造し、書き分けたその多面的な作品は、タブッキ、ボルヘス、ヴェンダースなど多くの芸術家を魅了し、詩群誕生一世紀に及ぶ今日ますます輝きを増している。
 長年ペソア作品を日本で紹介してきた澤田直氏がこのほど『フェルナンド・ペソア伝 異名者たちの迷路』を上梓したことを機に、自身もペソアに深く魅せられてきた文筆家でゲーム作家の山本貴光氏が、その創造世界について著者の澤田氏と語り合った。

構成/長瀬海 撮影/中野義樹

出会い

山本 ペソアが書いたものとはじめて出会って以来、ずっと大好きで繰り返し読んできました。澤田さんが「すばる」でペソア伝の連載を始めたときは本当に嬉しくて、毎号真っ先に読んでいました。今回、本のかたちになって欣喜雀躍しています。とはいえ、私はペソア研究者でもなければ、文学の研究者でさえありません。今日は一人の愛読者という立場でお話を伺わせてください。
澤田 ありがとうございます。山本さんが『不安の書 増補版』(高橋都彦訳、彩流社)の刊行イベントのために書かれた十六ページにも及ぶ配布資料を読めば、どれほどお好きなのかよくわかります。「異名者」とは何かだけでなく、ペソアの蔵書について、さらには「ペソアを楽しむためのミニガイドブック」まで、至れり尽くせりのものです。山本さんがペソアに出会ったのはいつでしたか?
山本 最初の出会いとなると少し曖昧なのですが、おそらくジル・ドゥルーズの本で触れたのがきっかけだったと思います。三十年ほど前でしょうか。彩流社から出ている『ポルトガルの海』を手にとって、もっと読んでみたいと思うようになりました。なかでも決定的だったのが、澤田さんの編訳による『ペソア詩集』(思潮社)です。これを読んで、今回のペソア伝で澤田さんも書かれていますが、なぜか自分のことが書いてあるような気がしたんですね。
 どうしてそんなふうに思うのかといえば、やはりペソアの人間の見方でしょうか。彼の詩には、一人の人間が一人ではないという感覚、一人の人間のなかに複数のキャラクターが存在し得るという感じが強く響いています。自分をペソアと比べるのは不遜な気もしますけれど、私も一つの固定したアイデンティティという見方に違和感を覚えていたので、それでもいいんだと勝手に励まされました。高校では理系を選んだけど文系にも興味を持ち続けたり、大学を出たあとでゲームクリエイターの仕事をしばらくやって、現在は大学で哲学を教えていたり。本も互いに関係のなさそうなものを書いたりしているせいか、ときどき「同姓同名の別人がいるのかと思った」と言われたりします(笑)。そんなこともあって、自己紹介をしてくださいと言われると困るんですね。自分のなかに複数のものがあるのに、「要するに何者ですか」と一つにアイデンティファイするように期待されても困るなあと。
 だからでしょうか。ペソアの言葉に触れて、この詩は自分が書いたんじゃないかと思うほど響いた。澤田さんが編訳された『ペソア詩集』はそのきっかけとなった一冊で、思い入れがあります。この詩集を読んでからというもの、ともかくペソアと名のつくものを見かけたら読む。あるいは、原語でも読みたいからポルトガル語の勉強をする、といったことをしてきました。と言っても、すんなり理解できたりはしないのですが。
澤田 そのお話は僕の体験とよく似ていて、とても共感できます。本のなかにも書いたのですが、僕は一九八五年からフランスの大学院で哲学の修士課程に入学しました。その年の夏にパリである本に出会いました。それが、ちょうど同年三月から五月にかけてポンピドゥー・センターでペソアの没後五十年を記念して行われた展覧会のカタログ風の書籍だったんです。
 展覧会そのものは見逃したわけですが、この本を読んで、衝撃を受けました。まず、執筆陣として並んでいるのが、ボルヘスだったり、タブッキだったりするわけです。彼らが、ペソアという未だ世に知られざる詩人がいるのだが、これが実にすごいということを書いていて、そこを糸口に、ペソアの持っている不思議な世界に引き込まれました。ペソアという人の最大の特徴は、彼が「異名者」と呼ぶ、自分とはまったく人格の異なる人物を何人も創造し、彼らが独立して作品を書いたことにあります。「偽名」とも「筆名」とも違う「異名」というものが最初はよくわからなかったのですが、強い磁力を感じました。一人でありながら多面的であるなんて、果たして可能なのだろうか。そう思いながら、作品を手に取ってみたんです。折しも、フランスではペソアの作品の翻訳が少しずつ刊行されているところで、アルベルト・カエイロ、リカルド・レイス、アルヴァロ・デ・カンポスという主要な三人の異名詩人の詩だけでなく、どのようにして異名者が誕生したのか、その過程を説明する手紙なども読むことができました。仏訳のいくつかはバイリンガル版で、そのおかげでポルトガル語の原文にも触れることができたんです。フランス語とはかなり違うけれど、他のロマンス語も学んだ人間からするとまるっきり歯が立たないわけではない。そんなわけで、たまたま当時叔父が駐在でリスボンにいたので遊びに行き、原書を買い込んだりしました。そこからすっかりペソアに入れ込んで、一九八六年には同人誌にペソア論を書きました。
山本 なんという同人誌ですか?
澤田 『水色の卵』というかわいい名前の雑誌です。中西夏之さんのイラストを使わせてもらっていたり、小沼純一さんが寄稿していたり、あと、デビュー前の中島京子さんがペンネームで書いていたりする、立派な同人誌だったんですよ。そこに最初のペソア論を書いたんですが、今回、書庫をひっくりかえして取り出してみたら、論のタイトルが「異名者たちの迷路」(笑)。
山本 四十年越しに同じタイトルをつけることになったんですね!(笑)
澤田 そうなんです。まるで進歩していないことが判明しました。当時から哲学と文学の狭間にあるものについて考えていたので、詩人でありながら哲学的な作品を書くペソアには一気に惹きつけられました。それが最初の出会いでしたね。

「人はなぜペソアに惹かれるのか」澤田直×山本貴光 『フェルナンド・ペソア伝 異名者たちの迷路』対談_3

「異名者」の背景

山本 澤田さんの御本の感想に入る前に、少し補助線を引かせてください。先日、科学史研究者の伊藤憲二さんが『励起――仁科芳雄と日本の現代物理学』(みすず書房)という本を刊行されました。二巻本の浩瀚な仁科芳雄伝です。仁科芳雄は二十世紀前半に活躍した物理学者で、時代的にもペソアと重なります。それだけじゃなくて、伊藤さんによると、普通は理論物理学者として理解される仁科芳雄が、実に様々な広い関心の持ち主だったようです。
 同書の冒頭で仁科の言葉が引かれています。「環境は人を創り、人は環境を創る」という言葉です。伊藤さんもまた、環境と人のインタラクションのなかでこの評伝を書くと宣言していて、つまり、一人の人物の偉人伝として綴っていく旧来のスタイルではなくて、自然環境や社会環境のなかで仁科芳雄という人物がどうなっていったのかを書いておられます。人間関係や知的なバックグラウンドも含めて、ネットワークのなかの仁科を記述するわけです。これは、言うは易しですけれど、実際に書くのはとても大変なはずです。伊藤さんの本と澤田さんの『フェルナンド・ペソア伝』を同時期に読んで、改めて環境と人の関係に目を向ける重要性を教えられました。
澤田 ありがとうございます。ペソアの人生そのものは波乱万丈でもなく、大きなドラマがあるわけでもなく、むしろ単調な日々です。当時のポルトガルは、国王や元首が暗殺され、クーデターが頻発するという騒乱の時代ですから、亡命、逮捕、投獄などがあってもおかしくないのですが、そういったこととは無縁にひっそりと暮らしました。ですから、彼個人の人生だけを書いても面白みがないし、ペソアのすごさもわからない。彼の作品の素晴らしさは、外界のすべてがペソアという特殊な光学装置で変化して見える内部世界にあるからです。そこで、編集者と話し合って決めた最初の方針に、ペソアの言葉をなるべくたくさん入れる、というものがありました。
山本 そうでしたか。対比のために少し触れると、澤田さんのペソア伝の少し前に、ペソアの翻訳者でもあるリチャード・ゼニスが英語で一千ページを超えるペソアの伝記を出しましたね。これもありがたい労作ですが、贅沢を言えばちょっと細かすぎる印象を受けました。辞典のように読むにはいいんだけど、ペソアがどういう生涯を送ったのか、どんな社会で生きたのかとなると、なかなか頭に入ってこなかったりします。その点、澤田さんの評伝はバランス感覚が絶妙でした。
 いまおっしゃったように、今回の『フェルナンド・ペソア伝』は編年体で書くだけでなく、ペソアが書いた詩や書簡やメモがたくさん引かれているので、ペソアのアンソロジーとしても読めて、これもうれしい点の一つです。そうしたペソアの言葉を引用しながら、彼が生きた環境もしっかり書き込まれている。ペソアと周りの人々が織りなすネットワーク、さらに社会や政治のことを近景、中景、遠景に置きながら、彼の生涯が記述されているので、ポルトガルの歴史に詳しくなくても、ペソアがどのような状況のなかで作品を書いていたのかが無理なく理解できます。
 それに加えて、ペソアの複数性の扱い方も素晴らしいと感じました。先ほどのお話にもあったように、ペソアはいくつもの自分を持つ作家でした。読者としては、そんな作家をどう記述するのかが気になるところです。「ペソアはこういう人だ」とまとめ過ぎても、その複数性を取り逃してしまいます。澤田さんの評伝はそのバランスも見事でした。さらに驚いたのは、そんな複雑な作家を複雑なままに提示しているのに、ミステリを読むように読めてしまうことです。ストーリーの枠組みに嵌めて書いているわけではないのに、最後まで面白く読めて、得難い読書体験をしました。
澤田 そうおっしゃってくださって嬉しいです。僕としては単なる編年体の連記にしたくはなかった理由は他にもあって、彼が創造した「異名者」の世界の背景を明らかにしたかった。なぜペソアは異名者などという迂回路を通して、作品を書く必要があったのか。それについて、謎解きのような考察を少し入れようと思いました。その際に、たとえば、ペソアの仮面性について論じるときには、オスカー・ワイルド、ヴァレリー・ラルボーといった文学者やニーチェやキルケゴールなどの哲学者を引き合いに出して論じる、ということをしました。ただ、これらのいわば批評的な部分は小難しすぎる気もしていて、僕自身としてはその辺りに自信が持てませんでした。今の山本さんのご感想を伺って胸をなで下ろしているところです(笑)。
 ゼニスの本は素晴らしい本で、細かい事実をたくさん書いてくれてありがたいのですが、一般読者からすると情報の洪水に流されてしまいかねない気がします。そうした細かい情報をどう取捨選択すればよいかというのは難しい点でした。そこで、僕自身がポルトガルの歴史や社会の専門家ではないので、ある意味、学びながら読者の方に理解してもらえるような記述をすればよいかなと考えました。一つひとつの固有名詞も、日本の読者には馴染みがないものばかりだから丁寧に説明することを心がけて。そういう意味ではペソアの入門書として読まれてほしいです。
山本 本文中で何度か、話が込み入ったところに行きそうになると、ここではこれくらい理解しておけば十分だろう、と切り上げていらっしゃいますよね。情報の遠近感というか、グーっと行けるところまで行くんじゃなくて、ここまでわかれば大丈夫というところで引く。その書き方が読者としては頼もしいガイドだと感じます。
澤田 本当はオタク的に細かいところを書いていく方が楽しいんですけどね(笑)。
山本 わかります(笑)。次はぜひ澤田さんには、容赦しない版のペソア論を書いてほしいと思います。