安室奈美恵がカリスマになるのは必然だった
そんな彼女たちのサウンドトラックに「小室サウンド」が歓迎されようとしていた。
まずは1994年から翌年に掛けて篠原涼子の『恋しさとせつなさと心強さと』が200万枚超えの大ヒット。そして1995年には「コギャル」世代の安室奈美恵が満を持して小室プロデュース作の『Body Feels EXIT』で登場する。
沖縄アクターズスクール出身の彼女は、SUPER MONKEY’S(後にMAXとなるメンバー含む)の一人として1992年にデビュー。
音楽バラエティ番組などで実力を発揮しながら、1995年にエイベックスの松浦勝人氏のプロデュースで『TRY ME〜私を信じて〜』をヒットさせる。これはハイパーなユーロビートのカバー曲でダンスフロアでも知名度を上げていた。
安室奈美恵が「コギャル」のカリスマになるのは必然だった。
彼女のルックスやヴィジュアルは、“女子高生”たちの最新のファッションと見事にシンクロしていた。
1990年代半ば、高校生をターゲットにした『東京ストリートニュース!』や『Cawaii!』や『egg』などのスナップ系ファッション雑誌の創刊が相次いだ。雑誌に載ることがステイタスになった頃だ。
いわゆる「読者モデル」の一般化で、より身近な有名人としての「スーパー高校生」(卒業生には俳優、ミュージシャン、アナウンサー、タレントなど多数)といった現象も起きた。「アムラー」もこういった誌面を通じてブームや流行語になった。
茶髪で細眉、厚底のロングブーツやパンツスタイルなど、モード系な見た目はその辺にいるOLやマダムと見分けがつかない。プラダやシャネルといった高級ブランドを「何か高校生っぽい」と言ってみたり、海外のスーパーモデルに憧れたりもする。
そのくせバッグの中にはプリクラやたまごっちやコンビニで買ったお菓子が入っているし、ファーストフード店やPHSで友達とおしゃべりしたり、渋谷109で手が届く範囲内のアイテムをチェックしたりもする。
キャラクターやマンガも手放せない。地下鉄サリン事件や阪神淡路大震災で安全神話が崩壊した日本の中で、流行都市TOKYOのポップカルチャーだけは極められていった。