心得③セックスは「自分らしさの総本山」
社会に出ると、自分の思いだけではどうにもならない出来事や人間関係のしがらみがあります。人生の辛酸を味わってきた中高年なら、いくつも思い当たることでしょう。
一方、セックスは限りなくプライベートな行為です。もちろん恋人や配偶者といった相手は存在しますが、社会や他者からの影響が極めて少ない環境で行うものです。相手以外、誰からも見られず、誰からも評価されません。「今の愛撫はよかった」「このクンニリングスはいまいち」というような評価が、第三者から付与されることはありません。セックスを評価するのは、相手、そしてほかならぬ自分自身です。
話は少し逸れますが、人知れずSMプレイを好む紳士淑女も数多くいます。私の友人、知人にもSM愛好家がいます。SMにはハードなものから、ソフトなものまでさまざまなプレイがありますが、相手に無理強いをせず、二人の命に関わらない限り、タブーはありません。
しかし、社会生活を送る上で、「鞭を使ってほしい」「縛ってほしい」と口にすることは、やはり憚られるものです。「実は、自分がSM好きなんて言ったら、驚かれるんじゃないか」と、他人からどう思われるかが気になる人もいるでしょう。
普段は性的な気配を一切出さず、大人としての務めをまっとうする彼ら彼女たちにとって、SMプレイは他人の目を気にせず、「本当の自分」をさらけ出せるかけがえのない時間なのです。スパンキング(手の平で臀部を叩く行為)をしても緊縛をしても、誰も何も言いません。「気持ちよかった」「今度は違う場所でしてみたい」と意見を交わすのは、自分とパートナーの間だけです。
どうにもならない出来事やしがらみにとらわれがちな社会人にとって、性の営みとは、自分らしさを体現できる聖なる場であり、とても自己肯定感の高まる行為です。SMに限らず、どこまでも自分の生き方や考え方を追求できるセックスは、「自分らしさの総本山」。だからこそ、60歳で諦めるのではなく、60歳からいよいよ集大成となるのです。