「更生」とは、一体何なのか
この日は、少年院でも勤務経験を持つ教育専門官と呼ばれる職員が、80代の高齢受刑者と面談をしていた。
「犯した罪はなんですか?」
「強盗殺人です」
「刑期は?」
「無期です」
最初は、本人確認のような質問が続いた。この受刑者は高齢だが、口調ははきはきとしていて、認知機能の衰えはさほど感じられない。
「今、事件を振り返ってどのように思いますか?」
「本当に申し訳ないことをしたと思っています」
「被害者のことを今でも考えることはありますか?」
「いや、考えないようにしています」
「それはなぜですか?」
職員の顔が急に険しくなった。黙った受刑者に対し、質問が繰り返される。
「考えないようにしているのは、どうしてですか?」
長い沈黙が続く中、静まり返った部屋で、職員は受刑者が口を開くのをひたすら待つ。本人は何と答えるつもりなのか。その場にいた私の心拍数も上がっていく。張り詰めた空気を感じ、取材でなければ、この気まずい空間から出て行きたいところだった。
「なんというか、今さらそんなことを考えても仕方がないというか」
間髪入れずに職員が尋ねた。
「その言葉を被害者が聞いたら(被害者は)どう思うと思われますか?」
「被害者には申し訳ないことをしたと思っています」
これまでのやりとりが最初に戻ってきたような気がした。その後、職員が質問を変えてみても、高齢受刑者は「申し訳なかった」という言葉を繰り返すだけだった。同じ場所をぐるぐるとループしているようで、その先に進む気配はなかった。
彼は確かに反省の言葉を口にしている一方で、この場をやり過ごそうとしているようにも見えた。自分の心を守るための防衛反応として思い出したくなかったのか、この職員との相性が悪かったのか。あるいは長期にわたる服役で、もはや自暴自棄になってしまっていたのか。この日しか見ていない私には、彼がなぜそういう態度をとったのか、真の理由はわからなかった。
刑務所の取材では、耳にたこができるほど「更生」という言葉を聞く。しかし、現場を目にすると、「罪と向き合いながら、再犯せずに社会で生きていく」という、私の思い描いていた「更生」は、現実とかけ離れているように見えた。受刑者を隔離して反省させる場所として考えていた刑務所は、少なからず福祉施設の機能も果たしていた。そこで服役する高齢受刑者の中には「更生」どころか、罪を認識しているかも危うい者がいる。
どうやら私はあまりにも「更生した/していない」という二分化した考えに囚われすぎていたのかもしれない。「更生」とは、一体何なのか。