知らずと紡がれた糸
2019(令和元)年6月、モヤモヤとしたまま私は、刑務所の高齢化の様子を、熊本の地域ニュースで特集として放送した。テーマは「福祉施設化する刑務所」。どこかで見たような内容だった。
刑務所のVTRはわずか3分半ほど。考えがまとまらぬまま勢いでロケ・制作をしたため、切り口となるような問題意識がはっきりしないままだった。普段目にすることが少ない刑務所の映像にはインパクトがあったものの、それ以上は何も伝えられていなかった。
「本質をついていない……」。自分でそう感じていた。
放送を終えてからしばらくして、先輩の杉本記者から仕事終わりに「ちょっとメシでも食わないか」と誘われた。杉本記者は、私の2つ上の先輩だ。一緒にサツ担をしていた時期もあり、ときどき飲みに行く仲だった。以前から「生きづらさ」をテーマに受刑者の社会復帰などを取材していて、刑務所や受刑者の立ち直り支援の動向にも詳しい。そのため放送前からよく相談に乗ってもらっていた。
職場近くの適当な居酒屋に入ると、さっそく、先日の特集の話になった。
「この前の企画は、不完全燃焼だったな」
事情をわかってもらっているだけに、その一言はずっしりと重く、返す言葉が出てこなかった。私は反省せざるを得なかった。
そんなとき、杉本記者は思いがけない言葉を口にした。
「木村、60年以上服役した無期懲役囚が、今度仮釈放されるのを知っているか?」
「それって……」
記憶を辿ると、刑務所で見たある光景が浮かんできた。
刑務所内でロケをしていたときのことだ。その日は、高齢受刑者と職員の面接の様子を撮影できることになっていた。
一人の受刑者が刑務官の付き添いのもと、一礼して面接室に入ってきた。男は高齢で痩せこけていて、腕の血管がくっきりと浮かび上がっている。介助はなく、自力で歩けるようだが、背中は少し曲がり、挙動は安定しない。職員の机の前に置かれた椅子の前に立つと、再び一礼をした。
「番号と名前を確認します」
「○○番、△△です」
この日は、仮釈放に向けた意思確認などを行う面接だった。受刑者と対面しているのは、社会福祉士の資格を持つ福祉専門官だ。2、3の確認の後、福祉専門官は受刑者にこう尋ねた。
「△△さんは、刑務所に入って何年くらい経ちますか?」
男は答えない。
長い沈黙が続いた。
しびれを切らした福祉専門官が「わからないですかね?」と追加で尋ねる。
「はい」
男はあっさりと答えた。何年入っていたのかも思い出せないほど、記憶力が低下しているのか。あるいは、よほど長期にわたって服役をしていて数えるのもやめてしまったのか。
「今、おいくつになります?」
「80ぐらい」
「正確な年齢はわからないですか?」
「はい」
ここでもあっさりと回答した。やはり認知機能に若干の衰えがあると見受けられる。
「外に出たら何がしたいですか?」
「仕事をしたいです」
その意志だけは明確だった。社会復帰後の就労を望んでいるようだ。
職員は他にも、社会に出てから心配なことはあるかなど質問を重ねたが、男からはっきりとした答えを得ることができないまま、面接は終わってしまった。正直よく分からない面接だった。
男は無期懲役囚だった。この時、刑務所は高齢受刑者などを対象にした特別な制度を利用して、仮釈放に向けた手続きを進めていた。恥ずかしながら、このとき無期の受刑者の仮釈放がどういう意味を持つのか知らなかった私は、この男にそこまでの注意を払っていなかった。ましてや、これから密着取材することなど、このときは想像もしていなかった。
男が犯した罪は強盗殺人。服役期間は当時日本で最長とみられる61年に上った。
そう。この男こそ、後に私たち取材班からAと呼ばれ、1年以上にわたって向き合い続けることになる「日本一長く服役した男」だった。