「親やから、子どものために、当たり前のことをやってるだけです」
例年、2月5日になると、事件現場には多くの報道陣や、都史君を悼む人々が訪れる。事件から8年も経過したが、これほどまでに人が集まる理由は、都史君の父親の強い気持ちによるところが大きい。
「当時は、刑事さんから、あと2~3年もしたらみんな忘れますとか言われてね。でも、風化させたらあかん。遺族たちがどういった思いで賢明に生きているか、知ってもらいたいんです」
そう話す森田さん(都史君の父親)は、今年から顔を出して取材対応することを決めたという。
「親やから、子どものために当たり前のことをやってるだけです」
都史君の祭壇には、お菓子やおもちゃなど子どもが大好きなものが並び、それは言葉にしなくても、森田さんの都史君に対する親の愛情が伝わってくる。
「都史君がこっちへ引っ越して、3ヶ月後に事件におうたんですわ。元妻と色々あって、離婚することになってね。ようやく、お兄ちゃんも入れて3人で新しい生活していこうってとこやったのに。あいつがね…」
シングルファーザーで、都史君と2歳上の兄を育てていた森田さん。
父親がいう“あいつ”とは、現在、懲役16年の刑に服している、中村桜州受刑者(30)のことである。
中学の頃から引きこもりがちであった中村受刑者。
“竹刀を振り回していた”、“追っかけられた”、“大声で怒鳴られた”と、地域でも、その奇行は有名だったという。
「事件の一ヶ月前やったかな。お兄ちゃんも追いかけられたことがあってね。事件後に聞いた話やと、昔から挙動不審な行動をとり、近所の子どもからもおかしい人やと言われてたみたいですわ」