コンドームを付けるのはナイフとフォークを使って食事するようなもの
しかし、女性の生命がかかっているのですから、男性が無防備なセックスから導き出される結果を理解し、この無関心をよしとしない文化を広げていくのに、それほど説得力が必要だとは思えません。快感を犠牲にしない方法で、男性に責任ある行動を取ってもらうことはできるでしょうか?
さて、この例えはいかがでしょう。人生における、セックス以外の最高の楽しみとはなんでしょうか。例えば、食はどうでしょう。大好物の一皿、デザート、または飲み物を想像してください。その大好物にあなたが溺れるたびに、親しい誰かに重大な身体的、心理的痛みを与えるリスクがあるとしたらどうしますか? 確実にそうなるわけではありませんが、現実的なリスクがあるとします。残念な気持ちになるでしょうが、二度とその好物は口にしないですよね? リスクを冒す価値がないですから。
それでは、その大好物を食べる前に、誰かに痛みを与えるリスクを最大限に減らすことができる、シンプルな作業があるとします。でも、そのシンプルな作業はその好物を口にする喜びを少しだけ減らすとします。誤解のないように書きますが、減らされた状態でも、十分に喜びは感じられるのです。例えば、ピザを食べるときに、手を使って食べたいのにナイフとフォークを使わなければならない程度のことなのです。
大好物を口にするたびに、親しい人に痛みを与えるリスク、もしかしたら死に至らしめるリスクを減らすため、このシンプルな妥協案を受け入れてくれますか?
もちろん、受け入れてくれますよね。
※男性の快感に焦点を当てるのとは対象的に、セックスを語るとき、そこに女性の快感を考慮することは多くありません。文化的にも(悲しいことに、特に男性によって)女性の快楽は無視されるか、軽視されてしまいますが、女性もセックス中に快感を得ることができるのです。マスターベーションでは95%の女性がオーガズムに至ります。初めての女性同士の性行為では、64%の女性がオーガズムに至るのです。しかし、男性との初めての性行為でオーガズムに至るのはわずか7%です。ということは、社会がセックス中の女性の快感を無視する際に問題となるのは、女性のオーガズムを感じる能力ではないとわかります。問題なのは、異性間性交渉に対する社会の思い込み、なにより男性の快感にだけ焦点を当てている点なのです。
文/ガブリエル・スタンリー・ブレア 訳/村井 理子