必要性と好奇心
信じられなかった。ホンジュラスからここまで、直線距離でも1000キロはあるだろう。しかも、ジャングルを通過するようなハードな道だ。
「ちょっと調子悪くなってたから、もうタイヤも交換したんだ」
マジ……かよ。なんだろう、この感覚。前に感じたことがある、とぼくは思っていた。どこかで、こんな少年を見たことがあると思っていた。……そうだ思い出した。バックパッカーだ。ぼくが昔、南米をバスで冒険旅行していたとき、いろいろなところで「チャリダー」と呼ばれる人たちに会った。
南米を自転車で回っている人たちだ。知らない場所に行ってみたい。したこともないようなことをしてみたい。自分が驚くようなことをやり遂げてみたい。ぼくが南米で出会った旅行者たちは、いつもそんな目をしていた。
ぼくは、その少年にも同じような感情を抱いた。そこで、ずっと抱えていた大きな疑問がまた浮かび上がってきた。移民ってなんなんだ? 貧しさから逃れるために、祖国を離れるだけの存在か。
もちろん、それはそうだろう。でも、その少年の自転車を見たとき、ふと思った。彼らは、人生を前に切り開こうとしている人たちでもあるんじゃないかと。倒れるなら、前のめりに倒れたいと思っている、そんな人たちなんじゃないか、と。
移民について撮影するとき、いつも頭に入れていることがある。それは「移民しない人の方が多い」ということだ。移民しない人の方が、圧倒的多数なのである。もちろん、移民にはメリットもあるが、いいことばかりじゃないことは、容易に想像がつく。仕事は? 住むところは? 食事は? 帰ってこられるのか? 友だちはできるのか? 人生はどうなるのか? 不安は尽きない。
しかし、不安以外にもなにかあるはずだ。それはたとえば、好奇心と呼ばれるものだ。ぼくは、移民の人たちには潜在的にこれを持っている人が多いように感じている。たしかに地元に残れば危ない、仕事もない。でも、移民をしようとしたって、危険はたくさんある。ゼロかイチかでは割り切れない。きっと、両方あるだろう。移民をする「必要性」と、「好奇心」と。そして、好奇心はいつも人々を遠くへと運ぶ。
「ねえ、どこまで行くの?」
ぼくは、少年に聞いた。彼は、にっこりと笑って答えた。
「俺は初めてなんだ、移民の旅が。だから、行けるところまでね」
夕陽に照らされた少年の顔を、ぼくは見られなかった。それは、あまりにもまぶしかった。