辺りには熊風が吹き荒んだ…新聞報道と語り継がれる悲話
本事件は、1915(大正4)年12月20日の『小樽新聞』で報道された。本事件のヒグマについての記述内容の一部は以下である。
「雄、金毛、頸部に襷をかけ、年齢は15歳ぐらいで、丈は10尺(約3メートル)あまりもある希代なものなり」(『慟哭の谷』の記述では、「身の丈2・7メートル、体重340キロ」)
「金毛」とは、北海道の猟師がヒグマを毛の色によって大きく三つに分けてとらえているうちの一つにあたる。三つとは、「金毛」「茶のまじり毛」「黒毛」である。一番恐れられているのが「金毛」で、最も凶暴性が高いといわれていた。一方、最も性格が穏やかでおとなしいのが「黒毛」とされていた。
射殺したヒグマは、村民によってソリで山から降ろされた。その際、晴れていた空がにわかに曇り始め、ついには猛吹雪となってしまう。一説には橋の上を腹ばいになって渡ろうとした者が対岸まで吹き飛ばされたという。
それほど激しい風雪がソリを引く一行に降り注ぎ、進行を妨げた。この急な天変を村民たちは「熊風」と呼び、後々まで語り継いだ。
ヒグマによる史上最悪の人身事故とされる「三毛別ヒグマ事件」は、小説やマンガをはじめ、映画やテレビ・ラジオのドキュメンタリー・ドラマなど、さまざまな媒体によって記録・報道されている。
また、事件発生から75年の時を経た1990(平成2)年、「三毛別羆事件復元地」(観覧無料)が北海道苫前町三渓に造られている。
この施設は、本事件・悲話を通して、開拓民の不屈のスピリット、先人たちの偉業を後世に伝えるとともに、犠牲者の冥福を祈り、さらには本事件を風化させないことを切に願う三毛別住人の熱意により実現したものである。ちなみに、北海道道1049号は、復元地の一角に立つ供養塔。飲食物の供物は絶対厳禁「ベアーロード」と名づけられている。
写真/風来堂
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