大討伐隊を編成し深刻化する事態に対応

あまりにも凄惨な事件発生後、三毛別の集落から人の姿が消えた。村民はみな恐れおののき、家の戸を厳重に閉ざした。静まり返った村で家の中に身を潜めた村民たちは、みなそれぞれに武器となるものを手にし、ヒグマの襲撃に備えた。

とはいえ、住民だけの力では防御までが精いっぱいだった。ヒグマを捕獲することなど、到底できるものではなかった。その頃、Kによる通報がようやく北海道庁まで届き、官憲が動き始めた。12月12日のことである。

「地方青年会アイヌなどの協力を得て獲殺すべし」

北海道庁保安課が管轄の羽幌警察分署長である菅貢に、そう打電、指示した。これにより、三毛別地区長であったP宅にヒグマ討伐本部が設置された。猟師や農村民を始め、青年団や消防組など、大勢の人々が次第に集まってきた。

12日正午前より、現場検証が始まった。午後には犠牲者全員の検死も行われた。あまりのむごさに、検察官も言葉を失ったという。官民共同によるヒグマ捕獲活動も同時に開始された。

だが、ヒグマをすぐに発見することはできず、討伐活動は思うように進まなかった。見るも無残な犠牲者を目にし、いち早くヒグマを仕留めたい。焦りとともに、討伐隊にその思いが充満した。

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「遺体をおとりにするほかない」

冬眠せず、この時期に現れたヒグマは飢えているはず。山にエサはない。ヒグマはまた開拓小屋を狙うに違いない。一度獲物と認識した遺体をまた襲いにくる。そう考えた討伐隊本部は一大決心をする。

「ここは心を鬼にして、遺体をおとりにするほかない」

仏をおとりにすることは耐え難い選択だったが、遺族を含め、反対する者はいなかった。そこまで事態は深刻化していたのである。

遺体がD家の居間に並べられた。討伐隊は屋内各所に身を潜め、それぞれが銃を構えた。考えうる万全の体制をとった。皆が息詰まり、時間だけが過ぎていく。

暗闇の中、ついにヒグマが現れた。緊張が走る。だが、ヒグマは家の周りをうろつくばかりで、中へ入ろうとはしない。討伐隊は狙いを定めるが、一発で仕留める間合いにヒグマが入らない。そうこうしているうちに、ヒグマは屋内の異変を察したのか、再び闇夜へ姿を消してしまった。

その後も討伐隊は交代で銃を構え続けたが、ヒグマは二度と現れることはなかった。