お年玉を賭け金にしてギャンブルを楽しんだ子供時代
――幼少期からギャンブルが身近な存在だったそうですね。
子供の頃は、周囲の大人にギャンブル好きが多く、ギャンブルが当たり前にある環境で育ちました。私が育った家は本家だったので、正月やお盆になると親戚が集まるのですが、親戚の大人たちはギャンブルが好きで、皆で花札やトランプをしていました。私やいとこの子供たちもお年玉を賭け金にして、大人に交じって参加するんです。しばらく遊んで飽きてきた頃に、祖父が「パチンコに行くぞ!」と言い出して、皆を連れてパチンコに行ってました。
――子供たちもパチンコに行くんですか。
親戚の子供たちもずらっと並んでパチンコを打っていました。子供の頃はそれが楽しみで仕方なくて、いつも盆暮れ正月が待ち遠しかったです。それがおかしなことだという感覚もなくて、純粋にギャンブルは楽しいものだと思っていました。
――当時のご家族にギャンブル依存症の問題はありましたか。
今思い返すと、私の母や親戚はギャンブルが好きだけれど、それでも愛好家の範疇でした。その中で祖父だけはギャンブル依存症を発症していたように思います。うちの実家は小さな雑貨屋を営んでいましたが、祖父は仕事を娘である私の母に押しつけて、自分は毎日朝からパチンコ三昧。そんな状態だから我が家の家計はとても苦しく、祖父は祖母や母としょっちゅう喧嘩していました。
――当時は、ギャンブルで家計を圧迫するお祖父様をどのように感じていたのでしょう。
子供の頃は、ギャンブルが原因で貧乏になっていると理解できていなかったので、祖父を恨むこともなく、祖父のことは好きでした。むしろ、祖父を口うるさく批判する母や祖母の方が嫌いでしたね。祖父は、外面がよくて、近所の人からも非常に好かれている人物でした。
これって、ギャンブル依存症あるあるなんですけれど、依存症者って人当たりがよくて、仕事ができて頼られる、評判のいい人が多いんですよ。でも、家では家族に大変な仕打ちをしているんです。当時の家族や親戚は、依存症に対する知識がなかったので、祖父はだらしない怠け者な性格だからギャンブル漬けになっている、と考えていたと思います。