40年ぶりに再会した父との奇跡の共通点
――お父様との再会後の苦労といいますと?
再会後、しばらくして父から電話があって「お金を貸してほしい」と。病院に行ったら思いのほか薬代が高くて払えない、とか言うんですが、生活保護受給者は医療費がかからないから完全に嘘なんですよ。
私はそれを知っていたので、そう指摘すると「じゃあ4500円でいいから」なんて言ってきて、そんなことが何回も続いたんです。それと、父はしょっちゅう行き倒れになっていたのですが、その度に病院から私に連絡がきて、呼び出されました。
――めちゃくちゃ大変ですね。
そんなことが続いた後、父が亡くなりました。また私が呼ばれて火葬の手続きとか諸々の対応をする羽目になって。その際、病院で父の所持品の引き取りをしなければならなかったのですが、私はもう心底うんざりしていたので、病院の人に「すみませんが、全然愛着もないので病院で処分してもらえないですか?」とお願いしました。
病院のスタッフの方は仰天していましたが、特例として対応してもらえました。でも一応、処分する前に確認のために遺品を一通り見てみたら、その中に鍵があったんです。その鍵にキーホルダーがついていたんですが、それは私が競艇にハマっていた頃に大好きだったボートレーサーの加藤峻二選手のキーホルダーだったんです。
「父も加藤峻二好きだったんだ!」ってびっくりして、これは遺伝なんだなって思いました。
――離ればなれで40年以上過ごしてきた親子が、同じ競艇選手のファンだったんですね。お父様も競艇が好きだったんですか。
父が住んでいた納屋の大家さんからも遺品の整理を頼まれて、しぶしぶ行くことになったんですが、納屋の中から年末に競艇場で来場者に配られるカレンダーがたくさん出てきました。何個も持っているということは、父は亡くなる直前まで足繁く競艇場に通っていたのでしょう。その証拠に、納屋の中で見つけた封筒を見ると1400万円もの借金があったことが発覚しました。急いで相続放棄の手続きをしましたよ。