震災で意識したアナウンサーという職業
──当時も変わらずミュージカル女優を目指していたのですか?
役者だけではなく、舞台制作も楽しそうだなって思っていて、それも選択肢のひとつとして考えていました。
そんな中、高校2年生の終わりに東日本大震災が起きて。テレビの報道を見る毎日で、アナウンサーは声を使う仕事でありながら、言葉で人に寄り添うことができる仕事でもあるんだと、初めて認識したんです。
そこでアナウンサーという職業が私の中にすっと入ってきた感じですね。
──大学進学後、より具現化されていったわけですね。
大学3年生のときにアナウンススクールに通い始めたり、ミスコンに出場してみたりしました。
結果は、運良く準ミスになれました。ありがたいです(笑)。
──そして、日本テレビのアナウンサー試験に合格。
宝くじに当たったみたいな気持ちでした(笑)。実は私、決して運がいいタイプではなかったんですよ。家族で商店街のクジを引いても、私だけ当たらない。
でも、そうやって運を貯めていたことがよかったのかもしれません(笑)。
──アナウンサーとして働いてみて、理想と現実のギャップはありましたか?
キラキラしていて華やかでっていうイメージを持っていたのですが、実際はTVに映らない仕事もたくさんあるんです。
たとえばスポーツの中継では、膨大な資料を自ら取材・作成して、それを頭に入れないといけない。テレビに出ている時間以上に、その裏でやらないといけないことも多いんです。
──アナウンサーの仕事は多岐に及びますが、担当番組『イントロ』の企画で歌手デビューを果たしました。まさか歌まで出すとは思っていなかったのでは?
いや、本当にそうなんですよ(笑)。
歌を出すっていう話になったとき、普通だったら「そんな、そんな……」って言うと思うんですが、楽しそうという気持ちが勝ってしまって、すぐ「やります、やりたいです!」って(笑)。
日本テレビには、個人が持っている個性や強みを、どんどん発揮していってくださいというような社風があって。だから、私にとっては非常にありがたいお話でした。
──ここでミュージカル部の経験が活きてくるわけですね。
ただ、歌謡曲とはちょっと違うので、会社でも家でもすごく練習しました。もともと歌うことが好きなので、それは全然苦ではなかったんですけど。
家では常に音楽を流していて、料理中とかに“ひとりミュージカル”をすることもしょっちゅうありますよ(笑)。