郡司恭子アナの奮闘記はこちらから

テレビ局として初めての本格的なファッションブランド「Audire(アウディーレ)」を立ち上げた郡司恭子さん。

新規事業に心血を注ぎながらも、「アナウンサーは私のアイデンティティ」と語る、熱い仕事への情熱に迫った。

「朝3時過ぎに岩本アナとコンビニ前でおにぎりを食べて生放送へ」「水卜アナと徳島アナに旅のしおりを作って渡す」郡司恭子アナウンサーの日本テレビ愛_1
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本当に伝え切れただろうか、いつも自問する

──アナウンサーの魅力は?

好きな理由がはっきりとわかったら、もしかしたら辞めちゃうかもしれません(笑)。それくらい、アナウンサーの魅力を探しながら、楽しみながら働いています。

──楽しさとは?

心震える瞬間が度々訪れるんです。例えば、高校サッカーのベンチリポートで、負けたチームがピッチからロッカールームに向かって歩く背中を見たときなどもそう。

「彼らの頑張りを伝えきれただろうか」と自分に投げかけることもありますし、まだまだこの場所で学ばなきゃいけない、磨かなきゃいけないと思わされます。

突発的な事件が起きて実況しなければならないこともありますが、そのたった数秒でも足が震えるし、息をするのも忘れるように仕事をしているときがある。いろんな意味で心震える瞬間があるから、アナウンサーという仕事に魅了されているんだと思います。

──そもそも、アナウンサーを目指したきっかけは?

実は学生時代は、結婚式やお葬式など、セレモニーをプロデュースする仕事に一番興味があったんです。

ただ、就職する2年前がリーマンショックの就職氷河期と言われる時代で。「これは何かやらなきゃ」と思い、アナウンサースクールの就職面接対策講座に参加しました。

そこで、「学生キャスターのオーディションがあるのでチャレンジしてみませんか」とお誘いをいただいたんです。

オーディションに合格したのち、学生キャスターを半年間経験させていただきました。とはいえ、当時興味があったのはセレモニーの仕事。さらに当時アナウンサーの採用試験は就活の中で一番早くはじまる試験でした。

就活期間の早い段階で落ちる経験をするのではという怖さがあって。挑戦してみたい気持ちはどこかにあったけれど、傷つきたくないから目を背けてきたんですよね。

ところが、半年間キャスターとして育てていただいたディレクターやプロデューサーから「アナウンサー試験、挑戦するべきじゃない?」と背中を押してもらい。日本テレビの試験を受け、採用していただきました。