映画&警察評論家で配給会社経営で映画監督!?

そして、日本テレビは映画評論家の水野晴郎さんでした。恰幅のいい体型に日焼けした顔、あまり知られてないけど、よく見るととんでもない大きさの福耳はクルーカットでより強調され、それまでの紳士然とした映画評論家像とは一線を画する、カジュアルでアメリカナイズされたキャラクターで現れたのです。

そもそもは20世紀フォックスの宣伝部出身で、日本ユナイト映画で宣伝総支配人になり、『ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!』(1964)『007/危機一発』(1963)や『夕陽のガンマン』(1965)などの邦題※の名づけ親から映画評論家に。
映画だけでなく、警察評論家として渡米してはアメリカンポリスの扮装をしてエビス顔をほころばせている様子をなぜか「水曜ロードショー」の解説の一部で紹介していて、それ映画と関係ないじゃん!そんなことしてるからカットしすぎで映画が訳わかんなくなってんだよ!と思ったけど誰にも言えずにいました。
※それぞれ原題は『A Hard Day’s Night』『From Russia with Love』『For a Few Dollars More』。あえて誤字を採用した『007/危機一発』は、その後『007/ロシアより愛をこめて』と改題された

その後、マイク水野を名乗り、自分で企画した映画『シベリア超特急』を監督し、世評も手伝ってヒット。シリーズ化までしたものの2008年、76歳でこの世を去りますが、あの内容はとてもじゃないけど、長年映画宣伝配給にかかわり評論家として名を馳せたお方の映画に対する知悉の結晶とはとても思えず。海外ではトリュフォーやゴダールのように映画批評から実作者に転身して大成功を収めたりするものの、その客観的な批評眼が誰でも実作に反映されるわけではなかったことは、私でさえ自分の映画作りで痛いほど実感するわけでございますが、それは別のお話。マイク水野監督を取り巻く事情としては、世相含めておおらかな晩年だったんだなと思い出せます。

「映画でここまで人間の葛藤を描けるのか!」高2の樋口真嗣を打ちのめし、池袋の街をさまよわせた『未知への飛行』。そしてそれを日本に持ち込んだ『シベ超』のマイク水野とは?_3
『シベリア超特急』より。水野氏(左中央)が製作・監督・脚本・出演を務め、シリーズは7作作られた
©シネマパラダイス

でも、そんな水野晴郎さん。 映画評論家、警察評論家、映画監督だけでなく、インターナショナル・プロモーションという配給会社を経営していて、そこでなかなか日本で公開されないが映画通にはたまらない映画を買い付けては次々に配給していました。ヒッチコックの『バルカン超特急』(1938)や、クラーク・ゲーブル主演の『或る夜の出来事』(1934)、オーソン・ウェルズの『上海から来た女』(1947)といった知られざる旧作名画を買い付け、配給したのもまた水野晴郎さんだったのです。

埋もれた映画を発掘し、公開する…普段のエビス顔とは違う一面なのです。 そんな映画愛あふれる凄腕配給師としての水野さんが、『十二人の怒れる男』(1957)のシドニー・ルメット監督が1964年に製作したものの日本公開されなかった政治サスペンス映画『Fail Safe』を、『未知への飛行』という日本タイトルをつけて公開したのが1982年の6月でした。 スピルバーグの『未知との遭遇』(1977)が1978年の日本公開ですから、そのあからさまな目配せはサスガの元専門職と言えましょう。 

「映画でここまで人間の葛藤を描けるのか!」高2の樋口真嗣を打ちのめし、池袋の街をさまよわせた『未知への飛行』。そしてそれを日本に持ち込んだ『シベ超』のマイク水野とは?_4
『未知への飛行』主演のヘンリー・フォンダ
©Everett Collection/amanaimages

冷戦の時代、北極海上空を哨戒中のアメリカ戦略空軍爆撃機B58が、ソ連本土への攻撃命令を受信する。それはコンピューターの誤作動による間違いの命令だったが、それを知ることのない爆撃機は編隊を組んでモスクワへと目指す。このままだと誰も望まぬ全面核戦争が起きてしまう。アメリカ合衆国大統領はソ連とホットラインを繋ぎ事態の収拾を試みるが…。