「中学を卒業してから素行が悪くなっていった」
社会部記者が解説する。
「当時18歳だったジンロ被告は、堀内音緒(ねお)被告(当時21)と共謀し、斉藤さんに暴行を加えた上で、乗用車のトランクに監禁。浜名湖付近まで向かい、再び暴行を加えたうえで、斉藤さんを湖にそそぐ川に転落させて溺死させたと見られている」
この事件では他にブラジル国籍の1人を含む3人の17歳少年が監禁容疑で、19歳のフィリピン国籍の女性が暴行に関わる証拠隠滅の容疑で逮捕されていたが、いずれも家裁送致され、起訴には至っていない。ジンロ被告も当時18歳だったため一度は家裁送致されたが、静岡家庭裁判所浜松支部は「一連の犯行で中心的な役割を果たした」として検察官送致(逆送)を決定。「特定少年」として氏名を公表された。
冒頭で触れたように「殺意」を否定し、起訴事実の一部を否認したジンロ被告。いっぽう、共犯者の堀内被告は今月2日に行われた初公判で起訴内容を認め、同13日に懲役17年を言い渡されている。
多国籍な少年グループによる凶行はなぜ起きたのか。その背景を取材する中で見えてきたのは、浜松駅周辺で形成された独自の“外国人コミュニティ”だった。ジンロ被告の知人が語る。
「彼がフィリピンから日本に来たのは小学校高学年のときです。両親はフィリピンに残っていて、日本に住む親戚の家に来るという形でした。当時はまったく日本語がしゃべれず、僕らもよく日本語を教えていました。彼を白い目で見たり、馬鹿にしたりする人はいませんでしたよ。
そんな彼の素行が悪くなっていったのは、中学を卒業してからですね。高校には進学しましたが、定時制か通信制だったので日中は暇だったようで、浜松駅周辺でよく遊んでいました。そこに同じような境遇のフィリピン人がいて、その仲間、またその仲間と繋がっていった」