神戸大学志望を貫いた〈足るを知る男〉本田

中学時代、私の地元の進学塾では、ほぼ常に校内ベスト3が固定されており、その全員が某R高の特進上位コースに進んだ。そして塾で1位だった私と、隣町の中学校の絶対王者であり塾では大抵3位だった本田が某R高で同じクラスになった。

ちなみに、当時某R高の特進では3年間クラス替えがなかったため、私と本田は3年間ずっと一緒の教室で過ごすことになった。

本田はとにかく地頭がいいタイプで、中学時代からそれほど無理な勉強はしなかった。私が気絶寸前になるまで自分を追い込んでいるのとは対照的に、「佐川はすげえなあ」などと言ってニコニコして、私を抜かそうという野心などはまったく出すことなく成績上位をキープし続けた。

写真はイメージです(写真/Shutterstock)
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中学生ながらに私は本田の潜在能力が自分よりも高いのではないかという恐れを抱いていて(そしておそらくそれは正しい予感だったと思う)、本田が本気モードに入らないかどうか、いつも緊張感を持って注視していた。当時の私の方が今の財務省よりも高い緊張感を持っていたと言っても過言ではないだろう。

さて、私たち塾のベスト3には、某R高の他に東大寺学園とラ・サールを受けに行くよう校長から指示があったのだが、私と2位の二人は普通に受けに行ったものの、本田はどちらにも出願しなかった。

「受けろって言われても、行きもせえへん高校やしなあ……」

本田はつねづねそう言っており、3人全員が受験ツアーに参加すると思い込んでいた塾の校長は本田が一番受験日の早かった東大寺に出願しなかったと聞いた時、教室で誇張抜きに腰を抜かして倒れ込んだ。

いつも厳しかった美人の校長がめずらしくナヨナヨした声で「な、なんで!?」と聞くと、本田は申し訳なさそうな顔で「いや、受かっても行かないんで……」と言うのみだった。

たとえばかの有名な浜学園でも、複数の難関中学に合格すれば三冠だか五冠だかのトロフィーがもらえると聞くし、そんなことを言われればやる気を出さずにいられないのが普通の小中学生というものではないだろうか? 

写真はイメージです(PhotoACより)
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私たちの塾にはトロフィー制度こそなかったものの、本田は「レベルの高い有名高校に複数合格して自分の経歴に箔を付ける」という、その進学塾にいれば当然インプットされるはずの価値観にまったく染まらなかったのである。

本田の独立独歩の精神は、あのスーパー学歴洗脳施設(注・今のことは知りません)某R高においても継続して保たれた。

東大京大国公立医学部志望でなければ人間として扱われないあの異空間で、本田ははじめこそなんとなく京大を目指してはいたものの、自分の成績を鑑みて早々に「神戸大学」に照準を絞ったのである。その異空間において「神戸大学」というのはまともな大学として扱われていなかった。