ギリギリ間一髪での生還
「もう消えてしまいたい」と富士の樹海で自殺をしようとした、なおさん(48)。森の奥のほうまで進んで焼酎を飲み始めると、持っていたガラケーが鳴った。「こんな樹海でも電波が入るんだ」と思いながら出ると、母親だった。
何年も連絡していなかった母親からの突然の電話に驚きながら、なおさんは自分の状況を説明する。
「いま樹海にいて、死のうとしているんだ」
母親はビックリして言葉を失った後、泣きながらこう訴えた。
「やめなさい! 借金も私がなんとかするから、とりあえず樹海から出なさい」
なおさんは母親の再婚相手と折り合いが悪く、家を追い出された経験がある。すぐには戻る決心ができなかったが、考えているうちに「もう一回チャンスがあるなら、試してみようかな」という気持ちになり、夜が明けるのを待つことにした。
「寝ようと思ったけど、寒すぎて眠れないんすよ。11月半ばで雪は降ってなかったけど、本当に凍死するんじゃないかと思ったくらい寒くて。明るくなってから動いたけど、どうやってここまで来たのかわからない。3時間くらい樹海をさまよっていたら河口湖か何かが見えたんですよ。運よく。で、そっちに向かって歩いたら道路に出て、バス停があったんです」
人生を変えた自助グループとの出会い
実家に戻ると間もなく東日本大震災が起こった。なおさんは気持ちがさらに落ち込んでしまい、夏になっても、自室にひきこもってほとんど寝たきりのような生活を送っていた。それが生真面目な義理の父親の目にはダラダラしているように見えたのだろうか。ある日、こう怒鳴られた。
「お前、病気を治す気はないだろう。もう出ていけ!」
その言葉が引き金で、なおさんは2度目の自殺未遂をする。持っていた大量の睡眠薬を一気に飲んだのだが、気付いたら病院のベッドに寝かされていた。
「絶望しかないっすよね。だって、うつ病は治ってないから働けないじゃないですか。それなのに、また出ていけと言われて……。ホームレスになるくらいなら、死んだほうがいいかなって。それでも結局死ねずに、家に帰されたんです。
そのときですよ。やっぱり、なんか打開策見つけなきゃいけないと思って。自室でネットサーフィンしていたら、たまたま、うつ病の自助グループっていうのを見つけたんです」
どんなところかよくわからないまま、「家からも近いし、とりあえず行ってみるか」と思ったことが、人生を変えるきっかけになる。
自助グループで出会った人の中には、うつ病が原因で離婚したり裁判をしている人もいて、話を聞いているうちに、なおさんは自分よりキツイ状態の人がたくさんいることに気がついた。
「世界が変わりました。自分はまだ恵まれているなと思えたし、何でも話せる仲間ができたのは大きな一歩でしたね。それまでは、それこそ樹海をさまよっていたときと同じで、ずっと独りで真っ暗闇の中にいたけど、なんかフッと光が見えて、進むべき道が見えてきたみたいな。ホント、そんな感じでした」
双極性障害という言葉を知ったのも自助グループのおかげだ。主治医にギャンブルにのめり込んだ話をして「自分は双極性障害ではないか」と言ったら、まもなく診断が下りた。