「試合開始後すぐ『こいつら強いよ! すごく上手い』と
少年ジャンプの主人公のごとく叫んだんです」
田中碧(フォルトゥナ・デュッセルドルフ)

体験会で号泣した田中碧(5歳)。その驚くべき理由とは?

田中には伝説しかない。

さぎぬまSCでは、新年度の入団を考えている新1年生のための体験会を毎年3月に行っている。実際に入団してみて、「クラブの方針や雰囲気に合わない」と思う子もいるため、「来る者は拒まず、去る者は追わず」がポリシーのクラブにとって、体験会は大切な機会だ。

1998年度生まれの子供たちのための体験会が行われたとき、ワンワン泣いている子がいた。それが田中だったのだ。澤田代表が振り返る。

「幼稚園の年長の子が集まるわけですから、泣いている子はよくいます。たいていは『親から離れたくない』とか『みんなのように上手くボールを蹴れない』とか、そういう理由からです」

「この子も何か“不安”を抱えているのだろう」と考えた澤田代表は田中を落ち着かせるために膝の上に乗せ、彼が泣き止むのを待ってから発した質問をきっかけにやりとりが始まった。

「どうしたの? お母さんから離れるのがいやなの?」

田中が首を振る。澤田代表は優しく続けた。

「何ができなかったの?」

甘えん坊で人懐っこい雰囲気をすでに漂わせていた田中は、しかし、驚きの答えを口にした。

「こんな練習、つまんない!」

テレビゲームでもやりたいのか、それとも、ほかのスポーツに興味を持っているのか。澤田代表はあれこれ思案したのだが、田中の答えはこうだった。

「ぼく、もっと難しい練習をしたいんだ!」

田中の頭を支配していたのは“不安”ではなく、“不満”だったのだ。

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同年代との紅白戦にしぶしぶ参戦→ドリブル無双

澤田代表は苦笑しながら、孫の生い立ちを語るかのようにこう振り返る。

「私も長くやってきましたけど、あんなことを言った子は彼だけですよ……」

あとになってわかったことだが、田中は幼稚園のときからサッカースクールに通っていたという。初心者も受け入れるさぎぬまSCのなかでは、すでに頭ひとつかふたつ抜けるような才能に恵まれていたのだ。

だからだろう。ボールの上に片足ずつ交互に乗せたり、ボールを大きく投げ上げてから落ちてくるまでの間に手をひとつ叩いたりする、いわゆる子供向けのメニューなど、当時の田中にとって朝飯前だったわけだ。

もっとも、どれだけ激しく泣いていたとしても、周囲の意見に聞く耳を持っている素直な性格は今も変わらぬ田中の才能だ。

「もう少し頑張って、みんなと一緒にやってみよう。あとで『試合』もあるからさ! そこまで頑張ってみないかい?」

「試合」というのはいわゆる紅白戦のようなものだが、それを聞いた田中は、同じ年代の子の輪の中にしぶしぶ戻っていった……。

もちろん、その日の最後に行われたゲーム形式の練習では、水を得た魚のようにドリブルをして、大活躍したのは言うまでもない。

「戻れー! あいつらが狙ってくるぞ!」

もっとも、ここまで挙げたエピソードは、田中や川崎フロンターレに興味を持っている人たちの間では比較的知られている話かもしれない。しかし、それだけではなかった。田中伝説には“エピソード2”があったのだ。

田中が小学2年生のとき、さぎぬまSCよりも格上のチームとの試合が行われた。試合開始の笛が鳴ってから1分も経たない時点で、田中がベンチの監督に向かって叫んだ。

「こいつら強いよ! すごく上手い!!」

マンガ『ドラゴンボール』の主人公・孫悟空が強い敵にあったときに発しそうなセリフである。ただ、そんな試合でも田中は先制点を叩き込んだ。

そして、得点の直後にチームメイトを集めて、今度はこう伝えたという。まるでマンガ『SLAMDANK』で主人公の桜木花道がインターハイ出場をかけた試合終盤にチームメイトへ呼びかけたみたいに……。

「戻れー! あいつらが狙ってくるぞ!」

澤田もこのエピソードには舌を巻く。

「相手チームがものすごいパス回しをしてきたり、自分のチームの選手たちが次々とドリブルでかわされてしまったりするのを見て、相手チームの実力を子供たちが試合中に気づくことはあると思います。

でも、普通はせいぜい5分とか10分経ってから気づくものですよね。まだ、小学生なので。それなのに彼は1分も経たないうちに、相手チームのひとつかふたつのプレーを見ただけで、『自分たちとはレベルが違うな』と判断できたみたいなんですよね。

しかも、得点した後には、監督よりも先にチームメイトに守備をするように呼びかけて。すごいですよね。そういえば、この前、彼が出演したNHKの番組を見たときも『相変わらずこの子は話すの“も”上手いよな』と思いましたけど(笑)」

田中はまだ24歳だが、将来は監督になりたいとすでに公言している。「田中ならいい監督になりそうだ」という声はすでに挙がっているが、さぎぬまSCに残るエピソードはそうした意見の正当性を証明するものになるかもしれない。