「チームが静まり返っても鼓舞できるのが“ゴンちゃん”だった」
権田修一(清水エスパルス)

“ゴンちゃん”の最初のGKコーチ

権田のGKとしての成長を振り返るとき、最初にあがるのは彼の父親の貢献だ。これは、さぎぬまSCとしての方針とかかわってくる。このクラブでは保護者も積極的に指導にたずさわってほしいと呼びかけているからだ。

「うちはフロンターレさんのようなところとは違い、ある種のボランティアチームという側面もあるので」

澤田代表はそう話す。当然ながら、専門のGKコーチなどいなかったが、チームで攻撃のメニューなどに取り組んでいた時間帯は、グラウンドの隅で権田の父親がGKのトレーニングに付き合っていた。

「専属のGKコーチなどいないなかで、お父さんは“ゴンちゃん”の最初のGKコーチという感じでした。それくらい熱心に取り組んでくれていました」

澤田代表が“ゴンちゃん”と愛称で呼ぶのには理由がある。澤田代表の愛息は権田のひとつ下の18期生だった。愛息の入団に合わせ、澤田代表も“お父さんコーチ”となり、そこからさぎぬまSCとのかかわりがスタートした。だから、父親とともにトレーニングに励む権田の一挙手一投足を目にする機会も多かったのだ。

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キャプテンではないのに光っていたリーダーシップ

GKとしてのプレーや技術以外にも、当時から権田には光るものがあった。

「チームが勝つために大きな声を出して、いつもチームを盛り上げることができる子でしたね。うちの息子が5年生のときに、ゴンちゃんがいた6年生の試合に帯同してじっくり試合を見る機会があったのですが、その元気な姿は印象的でした。みんなが静まり返る場面でも、鼓舞できるのがゴンちゃんなんですよ。『何やっているんだ!』と厳しい声を出すこともあれば、『もう少し頑張れば相手を抑えられるぞ!」と盛り上げることもあって」

当時のチームキャプテンは、川崎市の選抜チームにも選ばれていたCBの選手が務めていた。ただ、権田がその陰に隠れる存在だったわけではなかった。むしろ、キャプテンという役職を与えられていなかったからこそ、澤田の目には権田の秘められた“ある資質”が光って見えた。

小学生年代ではそもそも、キャプテンを任され、率先して口を開くように求められて初めて声を出す子も少なくない。逆に言えば、キャプテンマークを巻かない選手が自発的に声を出していたとしたら、それは本当のリーダーシップを備えているということでもある。権田はまさに、そんなリーダーシップのある子だった。

「GKの子には『いちばん後ろにいて、いろいろと指示を出せる立場にあるんだから、右サイドを警戒しろとか、どこがフリーなのかを大きな声で教えてあげよう』とは伝えています。でも、あそこまでしっかりコーチングできる子はなかなかいないでしょうね」

W杯最終予選“2敗目”で感じた責任感

権田で思い出されるのは、カタールW杯最終予選の第3戦、サウジアラビアとの試合のあとのことだ。あの試合では柴崎岳のバックパスを相手にカットされ、そこからゴールを許してしまった。最終予選3試合目にして2敗目を喫するという危機的な状況だったため、日本代表の監督や選手のなかでも、そのプレーについて触れないようにしようという空気があった。

ただ、権田は違った。あのプレーは柴崎だけのミスではなく、チーム全体としてのミスだと語り、仲間をフォローしていた。権田の責任感とチームメイトを思う気持ち、そしてリーダーシップが垣間見えた言動だった。

「もちろん、小学生のときから身体も大きくてやんちゃな一面もあったと思うんですけど、そういう部分も含めて、チームを鼓舞できるというのがゴンちゃんなのかもしれませんね」

日本代表にひとつしかないGKのポジションで、W杯最終予選のレギュラーとして本大会に導いたのが権田だった。

代表チームでは通常、ベンチ入りの2人も含めた3人のキーパーでポジションを争ってきた。シュミット・ダニエルや川島永嗣など、それぞれの長所を持つGKがいるなかで、権田は森保一監督からそのリーダーシップを高く評価されてきた。彼が厳しいW杯予選で日本のゴールを守り続けた要因のひとつはそこにある。

そして、それはさぎぬまSCでプレーしていた小学生のときから、彼がチームメイトに声をかけ続けてきたなかで養われたものだったのだ。