「下級生ながら2得点。学年を越えての『縦割り試合』が伝統行事に」
板倉滉(ボルシア・メンヒェングラートバッハ)
下級生が活躍しづらい「縦割り試合」で大活躍
「板倉選手だけは、どのようなプレーをしていたのかという具体的な記憶がほとんどないんです」
さぎぬまSCの澤田代表がそう語る理由は、板倉が2年生の1年間だけ在籍したのちに、当時住んでいた横浜市の古豪サッカークラブ「あざみ野FC」(日本代表経験もある横浜F・マリノスの水沼宏太などを輩出したクラブ)へと移っていったからだ。
「ただ、彼はうちの夏合宿の『縦割り試合』で小学2年生にして2ゴールを決める大活躍を見せたんです。当時は今とは違い、前線の選手だったんですけど、それは本当にすごいことで」
さぎぬまSCでは、小学生の男子チームを学年ごとに6つにわけて強化をはかっている。これはほかの大半のクラブと同じだ。
ただ、夏合宿では、あえて普段とはちがうかたちでチームを編成する。学年の垣根を取り払い、1年生から3年生までが均等に属する低学年の部で6チーム、同様に4年生から6年生までがミックスされた高学年の部で6チームを作り、それぞれ総当たり戦で優勝を争う。
体育祭やスポーツ大会がものすごく盛り上がる学校があるが、さぎぬまSCでも、この「縦割り試合」は子どもたちが目の色を変えて取り組む伝統行事となっている。
ただ、小学生年代の1学年の差は身体の成長面でも、技術などの面でも、とても大きなものとなる。とりわけ、発育やサッカー経験にばらつきが見られる低学年となると、その影響は特に大きくなる。そのため、高学年の部で4年生や5年生の子が活躍することはそれなりにあっても、低学年の部で1年生や2年生が活躍するケースはあまりないのが実情だ。
だが、板倉は違った。
2年生のときに夏合宿に参加し、下級生が活躍しづらいと言われている低学年の部の「縦割り試合」で2得点を決めたのだ。
今では日本を代表する守備的なポジションの選手となった板倉だが、当時はFWなど攻撃的なポジションを担っていた(その面影はプロになった今でも、守備的なポジションの選手とは思えないような攻め上がりやシュートからうかがい知ることができる)。
文集に記された板倉少年の“喜びの声”
夏合宿が終わったあと、クラブが記念に発行する文集に板倉はこうつづっている。
「ぼくのゴールを見てくれていた6年生の人たちから、『まだ小2なのに、2ゴールを決めるなんてすごいな!』とほめてもらえて、とてもうれしかったです! これからもたくさん練習して、もっと点をとれるようになりたいです」
この板倉の感想は、夏合宿の「縦割り試合」を企画したクラブの狙い通りのものだった。
「縦割り試合」を行う理由のひとつは上下の学年との交流を生むという教育的な側面もあるが、競技面での狙いとしては、さまざまな刺激を受けさせて選手の心を刺激するところにある。上級生とともにプレーし、年齢差によって生まれる壁に直面することで悔しさを覚え、それを日々の練習のモチベーションにしてもらうこともそうだ。
逆に、「上級生に混ざってゴールなどの結果を残したり、活躍を認めてもらったりすることで、サッカーをするやりがいや楽しさを覚えて成長の原動力にしてもらいたい」と澤田代表たちは考えている。
だから、さぎぬまSCが大事にしているこのような取り組みについて、今では日本代表だけではなく、ドイツのブンデスリーガを代表するDFになった板倉がお墨付きを与えてくれたことには大きな意味がある。
FW経験が活きたドイツ戦の“決勝点アシスト”
9月に左ひざをケガしてから、板倉が初めて90分にわたって試合でプレーすることになったのがW杯の大事な初戦・ドイツ戦だった。
ケガから復帰したばかりで不安がないはずもない板倉だったが、あの試合でも彼は「与える男」だった。前半33分に相手に先制を許したあとも、キャプテンの吉田麻也とともにチームメイトに落ち着くよう呼びかけ、両手を叩いて鼓舞していた。
「ドイツ相手だったので、1点とられてしまうことはありえます。(試合前には)そういう状況も想定していたので。だから、『一喜一憂している場合じゃない、ここで落ち込んだら一気にやられてしまう相手だ』と伝えたんです」
こともなげに板倉は振り返るが、若い選手にもベテランの選手にも、ナチュラルにコミュニケーションをとれる彼の振る舞いはチームに安心感を与えた。そして83分には、大会前にともにリハビリに励んでいた浅野琢磨に最高のパスを送り、決勝ゴールをアシストしたのだ。
「あれは琢磨がすごかったです」と板倉は謙遜するが、「自分がボールを持ったときに前線の選手の動きを見てあげられれば、彼らも動き出しやすいはず」と普段から語っているとおり、前線の選手の気持ちがわかるのも板倉のよさだ。
あのアシストの場面では、板倉がさぎぬまSC時代に前線の選手として活躍した経験が活きたのだった。
取材・文/ミムラユウスケ 写真/Getty Images