巨大カツ丼にガブリつく
なんてことを考えながら駅を背に3分ぐらい歩くと、ありました「思川食堂」。入口の横の食品サンプルのケースの素朴な佇まいが「この店は間違いなくおいしい」と教えてくれています。
カツ丼を注文して、待つことしばし。来た来た。うわ、分厚い! 予想以上の「極厚ロース」っぷりです。ガブリ。おお、やわらかくてジューシー。豚肉の脂の甘味と出汁の香りが口いっぱいに広がります。これはおいしい。すごいカツ丼に出会ってしまいました。
「いい女房でしたよ」
「食べた人に喜んでもらいたいと思って、地元の肉屋さんからいい肉を仕入れて、ぎりぎりまで厚くしました。おかげで儲けはありませんけどね。ハハハ」と笑うのは、ご主人の板橋和三さん(73)。お店は1964(昭和39)年創業。今年で58年になります。
「中学を出て2年ぐらい小山の蕎麦屋さんで修業したあと、生まれ育ったこの場所に戻ってきて、両親といっしょに食堂を始めました」
「二十歳で結婚して、それから家内とふたりでずっとやってきたんですけど、4年前に先立たれちゃって。苦労ばっかりかけちゃいました。いい女房でしたよ」と板橋さん。今は娘さんがSNSでお店の情報を発信してくれるなど、子どもや孫に励まされながら「どうにか続けてます」とのこと。「お肉もですけど、出汁もおいしいですね」と言うと、少しテレながら「蕎麦屋で修業してたから、出汁は手をかけてます」と教えてくれました。
地元の人に愛される幸せ
長い歴史の中では、近くの工場の朝ごはんとお弁当を任されて、目が回るほど忙しかった時期もありました。「まあ田舎の食堂ですから、のんびりやってきました。地元を離れた人が帰省したときに寄ってくれたりすると、長くやっててよかったなと思います」と振り返ります。もし、にぎやかな小山の街でお店を出していたとしたら?
「そうですねえ、ここよりは儲かったかな。でも、体を壊したり人に騙されたりしたかもしれない。この場所で地元の人に愛されて長くやってこられて、幸せだったと思います」
お店ごとにいろんなかつ丼があるように、お店ごとに歴史があり、店主の思いがあります。おなじみのチェーン店ではなく、ちょっと勇気を出して入った知らないお店で食べた食事が心に残るのは、そんなスパイスが加わっているからかもしれません。
派手な駅での暮らしも地味な駅での暮らしも、それぞれの魅力とそれぞれの苦労とそれぞれの幸せがあります。今回も「思川駅」の周辺ならではの空気を吸って、風景を満喫して、ここで生きている人たちならではのお話を伺うことができました。しばらくのあいだは、川を見るたびに、稲刈り間近の田んぼの匂いと肉が超分厚いかつ丼を思いそうです。
取材・文・撮影/石原壮一郎